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2017/03/17-(3) 綿菓子と海の泡と雪を

 スクリーンの中に入ると、まだ本編は始まっておらず、近く公開される作品の予告編や鑑賞前の注意喚起などが流れていた。予想に反して、存外席は余っていた。たしか、全座席のうち、半分くらいは空席だったと思う。私はこの時になって、ちょうど今月頃から都内でも規模の大きい劇場でも公開されるようになっていたことを思い出した。多分、ここの劇場は全席自由席で座席のウェブ予約はもちろん、当日の混雑状況さえ詳細には分からないくらいだったから、アニメ作品を多く流しているような、他の劇場へ流れてしまったのだろう。私は、ぱっと全席を見渡して、まったく人の座っていなかった最前列に席をとった。
 席に座ると、汗で湿ったシャツが背中に張りついて、気持ちが悪かった。予告編の上映は長く、私が席についた時点で既に上映開始時刻から5分以上経っていたはずだけれど、そこからさらに5分は流れていた。それも複合映画館のような同ジャンルの作品の予告ではなく、アジア洋画、邦画インディペンデント、ドキュメンタリとばらばらで、まったくまとまりに欠けていた。
 私自身もまた、流れる予告編と同じようにひどく混乱していて、こうしてチケットを買って席に座ってはいたけれど、それと同時に頭の中では『なぜ、私は今、この映画を観ようとしているのだろう?』なんてことを考えていた。これまで、私が映画を観に行くときは必ず事前に打ち立てられた“映画を観に行く”という目標のもとに行われていたし、観る映画や行く劇場が変わったり映画を観るという目標が達成されないことはあっても、たしかに私は事前に用意した“映画を観る”という目標のもとに行動し続けていた。それがなぜ、自分自身でも予期しないひらめきのために映画を観ることになったのか――なぜ、モーツァルトの嬉遊曲集を買うことになったのか? 私の胸は、これまで感じたことのない不思議な感覚に満たされていた。
 私の身体が映画の方へと向かっていくのは、本編が始まって十分ほどしてからのことだった。

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 映画の上映時間は二時間ほどだった。スクリーンから出たあとは、そのまま出ていかず受付近くにあるチラシを見て回り、その内の何枚かを貰ってから劇場を出た。けれど、階段を降りてすぐのところに手袋(もしかしたら、手袋ではなくハンドタオルだったかもしれない)が、落ちていて、受付の女性に預けるためにもういちど劇場に戻った。受付にはチケットを買った時の女性と、それと同じくらいの黒髪で黒縁の眼鏡を掛けた女性がいて、私が預かって頂けますかと言うと、ふたり一緒に笑いながら「はい、わざわざありがとうございます」と言った。私がそれじゃあ、と言ってふたたび劇場を出ていこうとすると、二回目の「ありがとうございました」が後ろから聞こえた。

 劇場を出たあとは当初の目的だった名曲喫茶に向かった。劇場ビル前の大きなポスターの写真を撮っておきたかったのだけれど、既に陽は落ちていて薄暗くこのまま撮ってもまともに映らないだろうと思い、撮らずに劇場を離れた。
 名曲喫茶はかなり空いていた。2階席は分からないけれど、1階席には窓際の席と後方の4人席とで3,4人いるくらいで、ほとんどガラガラと言ってよかった。私はいつも座っている席に座り、いつも注文しているとおり、コーヒーを頼んだ。注文を取りに来たのはゆるいパーマのかかった長髪で上唇に髭の生やしている無愛想な男性で、画家か、でなければ作家でも目指していそうな雰囲気だった。
 最初にかかっていたのはオペラで、明るい曲調のものだった。レコードが終わったあとの曲の紹介は声が小さくてよく聞こえず、聞き取れたのは“ヴェルディ”と言った部分だけだった。それがそのままヴェルディのことを言っていたのか、あるいはモンテヴェルディのことを言っていたのかは今も分からない。とくに聞き覚えのある曲ではなかったし、その時聴いていたはずの旋律も、翌朝にはもう頭のなかには残っていなかった。
 次にかかったのはショパンの幻想即興曲マズルカで、流れている間に新しく4人、新しく人が来た。そのなかで最後に来た、会社勤めらしい40代くらいのスーツを着た男性は来店に気づいてもらえず、前方の席に座ってから10分ほどもじもじしていた。私はその男性を横目に見ながら、2年くらい前に別の喫茶店で同じような目にあったことを思い出していた。思い出しているうちにだんだん自分まで妙に恥ずかしくなってきて、レコードの何曲目かが終わったのに合わせてさっきの男性と別の女性の店員が出てきて来客に気づき、慌てて水と品書きを持ってくるのを見ると、思わずこっちまでほっとしてしまった。
 ショパンの後は19時の定時演奏で、この日はベートーヴェンモーツァルトのヴァイオリン・ソナタだった。私もせっかくだからと暫くの間は熱心に音楽に耳を傾けていたけれど、結局のところ、まともに聴いていたのはベートーヴェンの最初の第一楽章までで、第二楽章が始まる頃にはもう集中が切れていた。そこから先はまともに聴くのは諦めて、腰を丸めて両肘を机に置き、両手で鼻筋を抑えたままどこを見るわけでもなく、流れている音楽に耳を澄ますわけでもなく、ただ今日のことをあれこれ考えていた。

 映画はとてもよかった。とくになにか、大仰な文句でもってその作品がいかに素晴らしかったかを語ってやろうという気はないけれど、ひとつ、とにかく印象に残っている場面があって――それは、終盤の、主人公と嫁ぎ先の義姉が終戦後に米軍の配給キャンプに行き、残飯の寄せ集めで作ったらしい配給食を食べ、屈託のない声で「うまい!」と言う場面だった。
 腰を丸めながら小刻みに身体を震わせていた私は不意にその場面のことを思い出し、それと同時に自分の目の奥から涙がこみ上げてきていることに気づいた。あの場面は――まったく、ほんとうに美しかった。
 私はまぶたをぎゅっと閉じてこみ上げてくる涙を抑えた。しばらくして涙が収まるとグラスに入った水を指先につけて、痺れるまぶたを擦った。その日にかいた汗や油が水と一緒に目に入って、少し滲みた。
 ベートーヴェンが終わり、モーツァルトソナタが始まったところで残っていたコーヒーを飲み干し、財布から静かに小銭を取り出した。そのまま身支度を済ませ、第一楽章が終わったところで店を出た。会計をしてくれたのは最初の男性ではなく、緑のタートルネックのセーターを着た茶髪の、丸っこい顔つきの女性だった。私が代金をきっかり渡し、小さく「ごちそうさまでした」と言うと、彼女はにっこりと笑って「ありがとうございました」と言った。

 名曲喫茶を出たのは19時30分といったところで、いつもと比べてかなり早い時間帯だったけれど、そのまま真っすぐ電車に乗って帰った。帰る途中まで持っていたメトロの24時間乗車券はいつのまにかどこかに消えてしまっていて、家に着いてから上着やジーンズのポケットを漁っても出てこなかった。
 次に行った時に撮ろうと思っていたあの劇場前のポスターの掲示期間がその日までだったことを知ったのはそれから数日経ってからのことだった。