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2017/03/17-(1) 三人が三人ながら

 その日、何時に家を出たのかは覚えていない。正午を過ぎてからなのは間違いないけれど、それが12時を回ってほどなくなのか、それよりももっと後だったのかは定かではない。

 その日出掛けたのは、ときどきに行っている中古CDチェーンで全店舗一斉に決算セールをやると言う話を前日に聞いたためで、昨日も映画を2本観に行く前に同じ店でCDを3枚(決算セール前ながら、これもかなり割引がきいた)買っていたのだけれど、せっかくだから他の店も見に行ってみたかったのだ。それに、昨日より前にCDを買ったのは12月の下旬頃に一枚250円で拾ったハイドン交響曲100番・101番・94番と、JUDY AND MARYのベスト盤が最後で、それ以前に買ったのものも、もう何度も聞き通して新鮮さを失っていた。

 昨日使ったメトロの24時間乗車券が今日の17時まで使えたので、行きの電車ではそれを使った。とくにどこの店に行くかとか、そういったことは考えていなかったから、 ひとまずあてもなく歩き回ることにした。東口の喫茶店やなんかが並んでいる区画を蛇行しながらJR新宿駅の南口改札に行き、誰かを待っているふうを装いながら改札口近くに立ち、あれこれ考えた。電車を降りてからずっと嵌めっぱなしだったイヤフォンからは、昨日買ったばかりのザ・ジャムの『デイヴィッド・ワッツ』――これがキンクスのカバーだと言うことを知ったのは、この日から何週間かあとのことだった――が流れていた。結局『デイヴィッド・ワッツ』が終わり、その次の曲が終わり、さらにその次の曲が終わっても一向になにも浮かんでこなかった。“どうするのがいいだろう”という以前に、私のなかには“何をしたいか”さえ浮かんでこなかった。
 ふいに私は今日は午前中に朝食を摂ったきり、何も食べていなかったことを思い出し『そうだ、私はお腹が空いていたんだ!』と心の中で言った。

 私はふたたび歩きだし、これまで行ったことのなかった地下への階段を降りて京王線都営地下鉄のある 地下通路を、また同じようにあてもなく歩いた。途中で幅の広い直線の通路沿いにぽつんとひとつ喫茶チェーンが入っていたので、そこで先月も食べたレタスドッグをまた注文した。席はあったけれど、できればもう少し歩き回ってみたかったので、持ち帰りで注文した。紙袋を抱えて店を出ると、少し歩いた先にあった階段から地上へ出た。地上に出るとすぐに、さっき入った喫茶チェーンの別の店舗があって、なんだかおかしな気分だった。
 地上に出てすぐに紙袋からレタスドッグを取り出して、来た方向に歩きながら食べ始めた。西口はオフィスビルが立ち並んでいて東口ほど人通りは激しくなく、うっかり人とぶつかって落としてしまう心配もなかった。

 少し遠回りをしながらもといた東口に戻ってきた。そのあたりに来る少し前にレタスドッグは食べ終わり、紙布巾で口を拭うと、戻る途中にあったコンビニエンスストアでペットボトルに入った水を買い、ひと口、ふた口飲んだ。ひとまず空腹感が満たされると頭が回るようになってきて、そういえばあの演奏者のアルバムを探していたんだ、とか、そういったことも思い出してきた。とりあえずは、東口にある幾つかの店舗のうち一通りの種類のCDを置いている総合センターのあるフロアで適当に見てみることに 決めて、大型書店のとなりのビルに入り、エレベーターに乗った。

 エレベーターを降りてみると、そこは目当ての総合センターではなく、クラシックのフロアだった。どうやらエレベーターのスイッチを押し間違えたらしかった。けれど、私はエレベーターを待っている間に案内板で買取センターが何階にあるのかをちゃんと確認していたし、そもそも私はCDを売るために二度ほど、総合センターに行ったことがあった。ふつう、間違えるなんてことはないはずだった。
 一瞬、戻ってもう一度エレベーターに乗ることを考えたけれど、どういうわけか急に考えるのが馬鹿らしくなってしまって、 もう私がどこに行くつもりだったのかとか、私の行動のどこに誤謬があったのかとか、そういったことのどれもがまったく無意味なように思われてきた。私がそれまでどう考えていたか、どうしたいと思っていたのかにかかわらず、最初からあらゆるものは“クラシック”の文字を目指しており、ただその目標に従って終着すべき場所に落ち着いただけなのかもしれない。そしてもしそうでなかったとしても、私は現に“クラシック”の中に在り、その結果を否定することはもはや不可能だった。

 店の中は、店員を除けばほとんどが年配の男性で、どころどころに少し女性がいるくらいだった。私の存在はその空間の中では少し浮いていて、隣り合っている男性は私がどれを選ぶのかをさりげなく覗き見して、内心鼻で笑っているんじゃないかと考えた。緊張で自分の顔が火照っているのがわかった。私は誰も人がいなかった交響曲の棚に移って、熱心に棚を見ているふりをしながら他の棚をちらちらと眺めた。こういう空間にいると 不思議なことに、他の場所であればさして特別には見えないような男性さえ妙に気にかかって、実は高名な大学の教授なんじゃないかとか、馬鹿げた妄想をしたりした。
 しばらくして、そうした想像も膨らむ余地がなくなってくると顔の火照りも冷めていき『もしかすると、私と同じようにフロアを間違えてここにやってきて、さも分かっているんだぞ、というようなふりをして熱心に棚を見ている人もいるかもしれない』なんて想像をし始めるころには、今度はおかしくてたまらなくなっていた。どう取り繕おうとそこにいる私はただの見栄っ張りの無知でしかないというのに、一体私は何を取り繕おうとしていたのだろう?

『隣の人が私をちらちら見るのは、私を値踏みするためじゃない。私に値踏みされないためなのだ』と、私は思った。

 そのあとはもう何も気にならなくなって、好きにあちこちの棚を見て回った。気になったのはスラブふうの名前の演奏者のブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番と、ベルリン・フィル管楽アンサンブルによるモーツァルトのディヴェルティメント集、シューベルトの歌曲集で、その中から割引がきいて状態も良かったディヴェルティメント集を買った。

 店を出たあとは、もうとくに行きたい場所もなくなっていたから、そのまま真っすぐ駅に向かった。電車に乗ったのは、3時を少しまわったくらいだった。