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2017/01/27-(2) 自分の叫声を聞き

 フィルムセンターを出たあたりから足の指が痛み始めていた。痛みは、4,5日ほど前にできた霜焼けのためだった。
 足の指に異常を覚えるようになったのは今年に、2017年になって間もない頃で、その時点ではまだ痛みではなく痺れで、座ったり横になっているときだけ断続的に足に痺れが出るといったくらいだった。私ははじめ、それはストレスのためなのだろうと考えていて――実際、月の半ばを過ぎるといくらか痺れは小さくなっていたのだけれど、完全には無くならないまま幾日か過ぎた。1月が下旬に入ったあたりから足の指が腫れはじめ、シャワーを浴びる時に湯が足先に当たると針で突かれたときような痛みが出るようになり、わずかな衣擦れでもひどく痛んで、2日ほど前までは靴下を履くのも億劫だった。
 私は地下鉄に乗り込み座席にありつくと、なんとか痛みが引かないかと熱心に足先を動かしたり、太ももを手のひらで擦ったりした。数分して、そうするのにも飽きてくると、近代美術館前の信号待ちの時のような、まったく馬鹿げた気分になってきて、私は訳もなく、『マルタの鷹』のボガートが飲み干したウィスキーのグラスをテーブルに叩きつけて激昂する場面を思い浮かべていた。この映画を観たのはもうかなり前(調べると、1年と17日前だった)で、格別気に入った映画だったわけでもないのだけれど、私はときどきにこの映画の、この場面を思い出すことがあった。
 
 20分ほどの間電車に揺られ続けて、終点の池袋で降りて、東口に出た。池袋に来たのは、いくらか探しものがあって、それを探すためだった。百貨店やら、名画座やら、中古ゲームショップやら、あちこちを歩き回った。ちょうどサンシャインビルのある通りは一番込み合う時間だったらしく大通りはとにかく人がいっぱいで、一つ隣の道に出ると今度は風俗店や居酒屋の客引きの女性が道の脇に何人かいて、大通りとはまた別の雰囲気を醸していた。
 目当てのものはどれも見つかったのだけれど、値段やら、デザインやらが気に食わなくて、結局目当てのものは何一つ買えないままふたたび電車に乗った。

 今度降りたのは新宿三丁目で、地上へ出ると先ず新宿御苑の方へ向かい、御苑前の喫茶チェーンに入ってレタスドッグとコーヒーを注文した。レタスドッグは普段食べているホットドッグに一枚レタスが挟まれただけの代物だったのだけれど、これが笑ってしまうくらいに美味しかった。
 注文を取ってくれた店員の女性は片言で――たぶん台湾人だったんじゃないかと思う。なぜだか分からないけれど、レタスドッグを頬張っている頃にはすでに彼女は台湾人に違いないという確信のようなものがあった。とは言え、実際には彼女が台湾人でなく中国人や韓国人であったとしても、あるいは他のアジア圏の人だったとしても、そこには何の違いも不具合も生まれることはないし、そもそも私が彼女がどこの国の出身なのかを推理すること自体、何の意味もないことだったのだけれど。
 昼過ぎから何も食べていなかったこともあって、レタスドッグはあっという間に胃の中に収められてしまった。ほとんど手を付けていなかったコーヒーはまだ十分に暖かくて、ひと口、ふた口と飲むと、腹の中からじんわりと熱が広がっていくのが分かった。コーヒーを飲み終えたあとは、すぐにコートを着なおして外に出た。多分、注文をしてから15分ほどしか経っていなかったんじゃないかと思う。

 今度はJRのある方へ向かい、先ず大型映画館で、近く公開される映画のチラシを何枚かもらい、ついでにトイレに寄った。トイレを出てすぐのところに、自分と同じくらいの年齢らしい男性がふたりいて、映画を観たあとどこに行くか、女の子たちはどこに行きたいと思っているだろうかとか、そういったことをあれこれ話していた。一通り話がまとまると二人はパチンと大きな音を立てて右手を握りあい、最後ににやりと笑ってロビーの方へと歩いていった。去っていく姿を眺めながら、私は彼らが女の子とのデートに失敗して、さっき手を握りあった時のような、大きな音が出るくらい女の子に引っ叩かれる姿を想像した。別に彼らを好ましく思わなかったわけではないけれど――なんとなく彼らは、女の子と抱き合う姿よりも、引っ叩かれて半べそをかいている姿のほうが魅力的に見えるような気がした。彼らの連れの女の子の姿は見ていなない。とくに気になりもしなかった。

 その日の目的はこれで終わりで、その後はいつものように意味もなく駅の周辺を早足で歩き回った。まずはJRの地下通路を通って西口まで歩いて、そこから南口改札前を通ってふたたび東口に戻り、今度は首都高へ繋がる四車線の道路をくぐって高島屋ビルに入り、JR東日本の本社へと繋がる陸橋を通って向かい側へ。そこからふたたび南口まで戻ると、今度は東口の飲食店街を適当に歩き回り、最後にマルイビル脇の地下鉄入り口から地下に入り、そのまま地下鉄に乗って帰った。その日持ってきた文庫本は、降りたときには234ページを示していた。

 買い物をするために最寄り駅よりひとつ前で降りると、駅員と東南アジア系の外国人3人が、あれこれカタコトの日本語で話をしていた。多少なり日本語で話せるなら私でも助けられるかもしれないと思って声をかけると、どうやら目的地の駅名とわずかな定型句――『アリガトウゴザイマス』とか、『オネガイシマス』とか、そういった言葉のほかには分からないようだった。ただ、間違って買ってしまったらしい切符をまず先に差し出してくれたので、あとは身振りで私が案内する旨を雑に伝えて、切符の払い戻しをした。その三人組はもうすっかり安心しきっていて、私が目を合わせるたびににっこりと笑って何度も「アリガトウゴザイマス」と片言の日本語でお礼をしてくれた。3人組のうちのふたりが女性、もうひとりは男性で、浅黒い肌を見てはじめ私は3つ、4つ上だろうと考えていたのだけれど、よく見るとそれほど老けておらず、女性の方はもしかするとまだ成人していないか、或いは成人して間もないくらいかもしれないとさえ思われた。
 無事切符を買いなおし、プラットフォームの番号と目的の駅に停まる列車の種類、それから「***に行きたいのですが、どうやって行けばいいか教えてください」と書いたメモを渡したあと、3人を見送った。3人は階段を下りるまでに何度も振り返り手を振ってくれた。

 買い物を済ませて家へと帰る途中、陸橋から眺めた新宿駅のプラットフォームや、片言の「アリガトウゴザイマス」や、池袋のガールズバーの客引きの女性の大きなつけ睫毛や、フィルムセンターで延々と流されていた奇妙な歌や、レタスドッグにかぶりついた時のぷちっというソーセージの皮が弾ける感触が次々に思い出されて、私は今にも笑い出しそうな、泣き出しそうな気分だった。