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2016/12/21-(1) 歌うように指示を出す

日記 喫茶店

 この1年のことでいろいろ考えたことについて、なにかひとつ、文章にまとめあげようと思ったのだけれど、どうにも書ききることは叶わないようなので、それとは別のことをひとつ。たわいもないことを書こうと思う。


 今日起きたのは、8時から5分、10分を過ぎた頃だった。前日は昼頃から家を出て、メトロの24時間乗車券を買ってあちこちを歩きまわったので、一晩たって大分痛んできていた。そのせいか、普段ならもう少し長く寝ていてもおかしくないのに、起きて間もないうちからすでにはっきりと目が覚めていた。疲れのためにシャワーも浴びず、歯も磨かずに寝てしまったので、口の中や額がひどくべたついていた。
 11時ほどまでにシャワーを浴びて朝食を済ませ、歯磨きをした。外は春みたいに晴れていて風もなく、窓を開け放ってもまったく寒くなかった。その後は、ふたたびお腹が空きはじめるまでは、その日のうちにやっておかなければならないことのいくつかを済ませ、それを終えると窓際に横になって1時間ばかり寝足した。日差しがとても心地よかったので、起きてからもしばらくの間はそのままぼんやりと過ごした。
 15時に近づいたところで、普段着ているよれたワイシャツの上に洗ったばかりのセーターを上に着て、財布と身分証類の入ったカードケースと文庫本をバッグに入れた。そして、前日ちゃんとハンガーに掛けずに放ったらかしにしてあった茶色いコートを着て、外に出た。

 外はとても暖かくて、コートでなく、春先や秋の間だけ着ているパーカーで出てきてもきっと問題なかっただろうというくらいだった。去年の今日はこんな陽気ではなくて、もっと寒かった。今日と同じように晴れてはいたけれども、風が冷たくて、歯をがちがち言わせながら信号待ちをしていたのをまだ、なんとなく覚えている。
 意味もなく駅まで行き、それから駅向こうまで少し歩いたあと、ふたたび方向を変えて、今度はジャズ喫茶のある方へと向かった。

 この日はとても混んでいた。昼過ぎから日が沈むくらいまではよく人が来るらしいことはこれまで来たなかで分かっていたけれど、これくらい混んでいるのを見るのは初めてだった。
 普段座る席はいずれもいっぱいで少し焦ったのだけれど、奥から二番目の二人席が空いていて、なんとかそこに座ることができた。私が来る少し前くらいに人が来始めたのか、いつもの店主の女性――彼女の名前を私は知らないのだけれど、ここでは書きやすいように勝手にアオキさんと呼ばせてもらうことにする(この名前はまったくの想像で、なにかのもじりでさえない)――アオキさんは、とてもせわしなく動き回っていて、私が席についてからも水もメニューも持って来られそうになかった。私は席についてから5分ほどの間、既に頭の中で決めてあるピザトーストとホットコーヒーを思い浮かべながら、アオキさんが来るのを待った。彼女が水とメニューを運びに来ると、ふたたび注文を聞きに来る手間がないように、すぐに注文をした。

 この日はエラ・フィッツジェラルドの名演集らしいレコードがかかっていた。スキャットや長い楽器ソロのない純粋な歌曲で、古い録音らしく、時々にブツブツというノイズが歌声の上に乗っていた。
 一曲終わるぐらいの間にひとり、出ていったけれど、次の一曲が終わらないうちに新しい客が来た。私は手間のかかるピザトーストを頼んだのは良くなかったかもしれないな、と少し思った。
 今日はなんだかずっと音楽に集中できなかった。どれだけ音楽に耳を傾けようとしても、どこかガラス一枚隔てたところで音楽が流れているようだった。そういう時もある、そういう時もある、と私は自分に言い聞かせて、頬杖をして目を閉じ、真面目に聴いているふりをしながらうとうとしたり、考え事をしたりした。

 去年初めてここに来たとき、たまたま入る前に聴いていたビートルズのカバーが店内でもかかっていて、なにか特別なものを感じた、といったようなことを文章として書いた。けれどもこうしてそれなりの数のジャズを聴いた今では、それも大して珍しいことでもなかったことがわかってしまった。そも、ガーシュウィン作曲のポピュラーソングに代表されるように、ジャズではポピュラーソングをカバーするのはまったくありふれたことで、それはビートルズのいた60年代も、現在も変わらない。そればかりか60年代では、同年代の有名プレイヤーの名前を適当に挙げれば、実際に何かしらのカバーが見つかるくらい、ビートルズのジャズカバーは多い。ウェス・モンゴメリーバディ・リッチヘレン・メリルオスカー・ピーターソンカーメン・マクレエ、ハービー・マン……。いずれも単に売れるかなで録音したようなものではないのは明らかで、とくにバディ・リッチは“ノルウェイの森”をとても気に入っていたのか、スタジオ録音の他にTVショーやライヴでも度々演奏している。話がそれてしまったけれども……要するに、あれは面白い偶然ではあっても何か特別な運命を感じさせるほどの出来事というわけでもなかったということだ。
 けれど、それが分かってしまった今でも、これといってなにかがっかりするようなこともなかった。ああした偶然がごくありふれたものであるのと同じくらい、こうした勘違いもまたごくありふれたもので、別に恥ずかしいことなんかじゃない。おそらくは、それが大きなものであれ小さなものであれ、誰でもちょっとしたことを何か大きな啓示のように捉えたり、あるいは大きな転機を些細な出来事として見逃したりしているのだと思う。私はもう、自分自身がなにか特別な恩恵を受けた人間であってほしいとは思わない。私はとても卑小な人間ですと自虐めいたことを言いたいとも思わない。ただ、実際になにか特別なことがあったときに心から喜び、また、こうした子供じみた勘違いをしたときに「また馬鹿なことをやったな」と笑うことができる人間でいられたらいいな、と思う。

 店は依然として人がいっぱいで、黒い服に身を包んだ女性がひとり、店にやってきて、満席だからと帰っていった。それからしばらくして私の隣のソファ席が空いた。皿を取りに来たアオキさんが「そこだと狭いでしょう、よろしかったらこちらに」と言ってくれたのだけれど、ここで構いませんと言った。ほどなくして、新たにスーツを着た男性客が入って来て、そのソファ席についた。彼はどうやら店主の知り合いらしく、すぐに店主の男性が嬉しそうな顔でやってきて、あれこれ話をしていた。ジャズとはあまり関係ない、政治とか、スーツの男性の近況とか、そういった話だった。
 これはまったく失礼な話なのだけれど、私は今やってきたこの店主の男性を、ずっと面倒くさい常連客かなにかだとずっと思っていた。髪は長くてぼさぼさで、他の常連客らしい人やなんかがやってくるとすぐに話をしに行くし、彼がキッチンの中でなにかをしているところを見たことがなかったからだ。私が彼が店側の人間であると気づいたのは以前来た時に何度か顔を見たことのある常連客が彼のことを“マスター”と呼んでいるのを耳にしたときで、それまではほんとうにただの客だと思っていた。たぶん、私のように最近来たばかりの人も、私と同じように考えているだろう。

 注文をしてから20分ほどしたところで、コーヒーとピザトーストがやってきた。店内は相変わらずいっぱいで、まだエラも歌い続けている。
 今日は普段と比べて賑やかで、隣で喋っている“マスター”のほかに、私がピザトーストにぱくついている間、斜め前の席に座っている50代から60代初めくらいの夫婦が常連らしい定年過ぎの男性と話をしていた。食べるのに夢中なふりをしながらひそかに話を聞いていたのだけれど、こんな話だった。

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