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2016/06/15 次の一歩のことだけを考えるんだ

日記

 旧約聖書に私の好きな話がある。十二小預言書の5番目、ヨナ書だ。

預言者ヨナはある日主にこう命じられた。
アッシリアの首都・ニネヴェの街に行きなさい。そこでニネヴェのひとびとに説くのだ。『これまでの罪を悔いあらためなさい。さもなければニネヴェの街は40日後に自らの悪のために滅ぼされるであろう』と」
けれども、敵国アッシリアのために働くことを嫌ったヨナは反対ゆきの船に乗って逃げ出してしまった。

 主は嵐を起こし自身の怒りを伝えたのち、大魚の腹の中でヨナを3日間生かした。主の怒りと慈悲を理解したヨナは、主の命じられたとおりにニネヴェの街にゆき、ひとびとに罪を悔い、断食をするよう説いた。ニネヴェのひとびともこれを理解し断食につとめたので、主はニネヴェのひとびとを赦し、ニネヴェの街も破壊しなかった。

 しかし、イスラエル人とこれまで敵対してきたニネヴェのひとびとを赦した主に納得できなかったヨナは、街の外に庵をつくり、そこからニネヴェの街を見守ることにした。
 それを見た主はヨナの庵のまわりに唐胡麻を生やし、ヨナを涼ませてやった。しかし、その翌日には強い日差しが降り注いだので、唐胡麻はすぐに枯れてしまった。せっかく生やした唐胡麻を主がすぐに枯らしてしまったのでヨナは怒り、主に抗議した。
「せっかく生やしてくださった唐胡麻をなぜ枯らしてしまうのです。こんなことをされるくらいなら私はもう死んだほうがましです!」

 怒り猛るヨナに主はこう言われた。
「一日で生やされ、一日で枯らされた唐胡麻のことを想うのなら、私がニネヴェの12万の民と無数の家畜たちのことを想うのもわかるはずだ」

*1

 この話の主題はユダヤ人の選民思想と神の愛の普遍性についてで、新約聖書でもイエス自身がこの話を引用しているほか、新約聖書の『外の者は理解し、中の者は理解しない』という説教に通ずるところがある。ただ、私がとくに引用したいのは一番最後のみ言葉「一日で生やされ、一日で枯らされた唐胡麻のことを想うのなら、私がニネヴェの12万の民と無数の家畜たちのことを想うのもわかるはずだ」という部分だ。

 ここで私がいつも考えるのは、神の無償の愛がどうだとかというような、そんな教訓めいたものではなくて、ヨナという人物のことだ。ヨナは預言者とは思えないほど身勝手で怒りっぽい。けれども、ヨナの「主は私(イスラエル)のことを分かってくれない」という気持とヨナ自身の神に対する無理解が同時に存在するように、私もまたこうしたヨナのような独善的な感情や他者への無理解を抱えているという事実を認めざるを得ない。私が人に理解されないように、私もまた人を理解できていないし、理解しようと努めることさえ忘れている。その事実に気づくことが出来なければ、いつまで経っても独り善がりなままだ。しかし気づくことが出来たのなら、これまでよりは人に理解されるだろうし、理解しない人を理解することも出来るはずだ……と、私は思うし、そう信じたい。

*1:書き手による省略版