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2016/01/11 1.盲従の生涯の終わりぎわに

日記

 この日、中学三年の時の同窓生との集まりがあった。同窓での集まりと言ってもこうした集まりは今年だけのものではなくて、17,18くらいの時から毎年定期的に行われていて、取りたてて特別な催しだったというわけでもなかった。ただ、既に何度も行われているこの集まりに私はこれまで一度も参加していなったうえ、携帯電話も持っていないために連絡網からもあぶれていて、同窓生たちと連絡を取り合うことさえままならない状況だった。

 そもそも、中学時代友達はろくにできなかったし、三年時にまともに付き合ったと言えるのは小学校低学年から知り合っていたある男の子と、二年の時に苗字の順番が近いことから知り合った別のクラスの男の子がひとり、その2人きりだった。学生時代いじめられていたということはなかったし、男女に関わらず必要な時は必要な分会話をしていたけれども、それでもなにかもっと色々なことを意味もなく話し合えるような仲になることはなかった。私と周りの子たちとの間で成される会話は常によそよそしく、形式的で、ぎこちなかった。ちょっと楽しく会話が出来たなと思えてもそれ以上なにかがあるわけではなく、何かの授業で二人組を作ってと言われるようなことがあれば、当然のように私は余りものになった。
 それに、単純に中学時代が好きじゃなかった。中学時代はてんで駄目だったし、ほとんどの子たちが好きじゃなかった。とにかく先生をからかって授業を妨害することしか考えていないやつとか、とにかくグループにあぶれないように愛想笑いをして集団にくっついて歩く子とか、放課後になると教室の隅っこで延々他の子の悪口を言いあっている子たちとか、とにかく嫌いな人ばかりだったし、そうした環境に不満を抱きながらなにも出来ないうえ、内心見下している彼らの中にさえにさえまともに食い込めない自分も嫌いだった。

 そんな調子で、とにかく私は中学時代が好きじゃなかった。なのに何故参加することにしたのかというと……それは、それなりに考えの変化があったからだ。


 当日は、昼過ぎに布団を出て、ハムサンドとコーヒーを用意して、食べ始めた頃にはすでに緊張で身体が固くなっていた。集合時間は19時だったけれど、17時前にはもう準備を始めていた。本を読んだり映画を見たりすることも考えたけれど、とにかく会わないうちから身体ががちがちになってしまっていて、何かほかのことに集中できる状況じゃなかったのだ。気分を上向けるためにラモーンズの「リメンバー・ロックンロール・レイディオ」を何回も聴いたりしたけれど、緊張が解れるのは聴いている間だけで、すぐにまた動機がするようになった。あまり小難しい歌詞でもなかったから、歌詞を見ながら何度も口ずさんでいるうちにいつの間にかほとんど歌詞を覚えてしまっていた。ほんとうに馬鹿なことをやっているな、と思った。
 たっぷり1時間かけてシャワーを浴びて髪を整え歯磨きをして、それから家を出るまでの十数分までの間は延々鏡を見ながら服を整えていた。18時半に家を出て、駅前まで行き、集合場所にそれほど人が見えないのを遠目に確認すると近くのゲームセンターに入って少しの間気分転換をした。でも緊張はまるでとれなくて、遊んでいる間も緊張で膝が震えていた――それでも、どうにか恥をかくことなく、同窓生たちと落ち合うことが出来た。

 幹事に挨拶をして、それじゃあおおよそ集まったし居酒屋の方に向かうかという段に入ると、身体の緊張はおおよそ抜けていた。でも、案の定誰と話をしていいか判らなかった。唯一仲の良かった同級生は今日は来ていないし、とりあえずはいつも律儀に集まりの連絡をくれる女の子にお礼を言って他愛ない話をして気を紛らせたけれども、言うまでもなくこうした集まりで延々その子と話していられるわけがなかった。中学時代の三年間ずっとクラスが同じだった子(カンダ君、と呼ぼう)とか、わりあいフランクに接してくれていた子のグループになんとか入らせてもらおうと考えていたけれど、上手く会話の中に食い込める自信はなかった。

 ただ、取り立てて深く話したわけでもない、むしろ私が嫌っていたクラスの中心だった彼らが当然のように私のことを覚えていたのには驚かされた。身なりも制服でなくなっているうえ、こうしてまた顔を合わせるまでにかなりの年月が経っているというのに私の顔を見ると、私が誰かに気づくより先に「おっ、**か」と名前を言い当ててしまった。それもひとりふたりだとかではなく、ほとんどの人たちがそうだった。中学時代の三年間で私の存在なんておよそ記憶しておくに足らないものだったし、覚えておこうと思っても記憶していられるほど大した関わりがなかったのに、これはどうしたわけだろう――と、とても不思議な気分だった。