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2015/12/21-2 事態は思ったほどひどくはない

 焙煎屋から喫茶店に向かうまでの間は、音楽プレイヤーでビートルズを聴いていた。詳しいことは思い出せないけれど、スクランブル交差点で信号が変わるのを待っている間に「アイル・フォロー・ザ・サン」なんかを聴いていたと思う。今思えば、なんでこの時ビートルズを聴いていたのかわからない。本来はビートルズなんかじゃなくて、デューク・エリントンを聴くべきだったはずだ――何故かって、その目当ての喫茶店がジャズ喫茶で、自分が持っているジャズのCDは2枚ぽっちでデューク・エリントン、それきりだったからだ。

 しかし、ビートルズを聴いたのは決して間違いじゃなかった。なんの偶然か、私が入った時にちょうど、ビートルズのジャズカバーが流れていたのだ――「あまりに出来過ぎている」と、そう思った。
 中は空いていてカウンター席は荷物が置かれていて客席用ではなかったので、壁際の、アンプの正面にある席を選んだ。コートを脱ぐとすぐにメニューを確認して、一番最初に目についたコーヒーとピザトーストのセットにすることにした。決めてすぐに店員の女性が来た。歳は多分50以上あると思うけれど、長い髪はしっかり根本まで黒く染められていたし、とくに傷んでいるような感じもなかったから、もしかするともっと若いかもしれない。大きな、理性的な眼をしていて、口や鼻も整っていた。それから身体にぴったり合った黒い長袖(ああいう服はなんて言うのだろう?)を着ていて、それがより洗練された、落ち着いた雰囲気を醸していた。

 女性が再びキッチンの方に戻ると、私が入った時に流れていた曲が終わって、次の曲が流れた。次もビートルズで、こっちはちゃんと覚えている。「ロング・アンド・ワインディング・ロード」、それだった。ちゃんと歌もついていて、歌っているのは明らかに黒人だった。その時には誰が歌っているのかは分からなくて、帰ってからいくらか調べるとジョージ・ベンソンレイ・チャールズの2人に絞り込めた。ただ、かなり集中して聴いていたはずなのに、2つのカバーを聴き通してみてもどちらなのか判らなかった。どっちでもあるしどっちでもないような、そんな感じがした。歌い方はレイ・チャールズのカバーの方が近いように思われたけれども、レイ・チャールズはそれなりに聴いてきたつもりだったから、その時気づかずにいたのは信じられなかった(お前の耳が悪くて気づかなかっただけだ、とか言われてしまうともう何も言いようがないのだけれど)

 それが終わってからは、どの曲も全く分からなかった。もしその時の私にその後流れた曲についてなにか分かったことがあるとすれば、それは、「かっこいい」ってことだけだった。
 バッグの中に入っていたゲーテの「若きウェルテルの悩み」を取り出して読み始めたけれど、10ページほどめくってもまるで頭に入らなかったのでやめてしまった。若きウェルテル-にジャズなんておおよそ合わないのだ。これなんかよりも、昨日読み直した「ライ麦畑でつかまえて」のほうがずっと合う。もちろんほんとうにライ麦畑-を読みながら聴くべきは“リトル・シャーリー・ビーンズ”のレコードだろうけれど、それを聞けるのは主人公のホールデンと、あれを書いたサリンジャーの2人きりだ。……と、そんなことを考えていると、なんとなくライ麦畑-のことについて、自分なりにいろいろと書いて、記録に残すべきじゃないかと思った。それは虚栄心を詰め込めるだけ詰め込んだ高慢ちきなハリボテの批評でも、表現に固執するあまりに“書くこと”それ自体が目的となった、独創的なふりをして実はこの上なく無個性なおよそ冒涜的なポエムでもない。ただ私があれを読むのに費やしたいくらかの時間の間に生まれた感情というのを、読む度に思い起こせさえすれば、中身は関係ない。ただ思い返せるということ。思い返せさえすればいいのだ。

 この時になって、ようやく自分が店の中の景観をまるで気にしていなかったことに気付いた。ここに来るのは初めてだったのに、だ。
 店内はそれほど広くない。ここをいつも通りから眺めていた時は、ビルの2階部分がまるまる喫茶店なのかと思っていたけれど、実際はそうじゃなかった。外から見えるガラス張りの部分は別の店で、わずかに窓があるばかりでほとんど外からは見えない奥の部分だけが喫茶店なのだ。座席はほとんどが1人ないしは2人向けの座席で、いちばん機材に近い部分にひとつ、4人席があるのみだ。中にはジャズのレコードの棚があちこちに置いてあって、どの棚もレコードがぎっしり詰まっている。他にもジャズについての本とかがあるらしく、棚の一角は本が並べられていた。レコード用の機材だとかのことはよく分からないけれど、デジタル信号で“McIntosh”と映された大きなアンプが置いてあって、後で調べたところでは数十万から百数十万になるという話だった。 ただ、他にいた客にその音楽に精通している、というような感じはまるでなかった。渋谷の名曲喫茶みたいに何もせずにただひたすら音楽を聴いているわけでもなくて、どの人もケーキやらバナナジュースやらを注文して、それをちょこちょこ食べながら雑誌を呼んだり、スマートフォンをいじったりしていた。「ただそこに喫茶店があったから来たのだ」と、そんな顔つきだった。でも、案外そういうものかも知れないな、と思ったし、自分だってほかの客となんら変わりがなかった。自分には何も知らないし、何も出来ない――もし出来ることがあるとすれば、神妙な顔をしてくそ真面目に音楽を聴いている素振りを見せるくらいだ。
 そのうちビートルズみたいにイントロで曲名が出てくるくらいでなくとも、およそ大体のジャズのアルバムを見聴きして、少し演奏を聴けば誰の演奏か言えるくらいになったら格好いいだろうな、と、そんなことを考えていた。

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(ブレンドコーヒーとピザトーストのセット、750円)

 コーヒーとトーストが出てくるまでに結構時間が経ったと思う。もしかすると、ピザトーストはあまり注文を受ける品ではなくて、準備が面倒だったのかもしれない。そんなふうに考えると、なんだかすごく申し訳ないことをしてしまったな、と思った。
 ただ、ピザトーストはほんとうに美味しかった。たっぷりとチーズが乗っかっていて、その下にはスライスオニオンとトマト、上には小ぎれいにピーマンが載っていて、きれいに焼けていた。家でなんとなく作るような、スライスチーズに適当にハムやピーマンを載せたような代物ではなくて、ほんとうのピザを食べているみたいな満足感があった。食べている間にすっかり最初の申し訳なさは消えてしまって、最後の一切れを食べる時には、おかわりをしたいな、という気にさえなっていた。ピザトーストに夢中だったから、コーヒーのことはよく覚えていない。ちゃんとしたクリームが付いてきたことと、やや深煎りのような風味があったこと。覚えているのはそれだけだった。ピザトーストを食べ終わって一息ついた辺りから、また何か色々な考えが巡ってきて、特にコーヒーのことを気にする余裕もなかった。


 昨日のことを考えていた。ライ麦畑-を読みきった後、およそ絶望的な、泣きたいような気持ちを堪えながら2時間もかけて書いた1500字のことを。
 あれほどの感情を抱えながら過ごした1日は呆気無く過ぎてしまった。今の気分をどう書いていいのか分からないけれど、とにかく言えるのは、昨日が終わったということ――なんら特別なことが起きるわけでもなく、ごく平凡に終わったということだ。これまでの人生のうちの1分を切り取ってもやはり1分でしかないように、あの日もまたあの日でしかないのだ。ただ、5年後くらいにあの日記を読み返した時、なにか思うところがあればいいなと思う。あれを書いている時に抱いていた感情の断片だとか、言い様のない懐かしさだとか、その頃話をした子たちのこととか。

 コーヒーを飲み終わって、それから今流れている曲が終わるまで待った。その曲がなんて言うのか私は知らない。でも、次にその曲をどこかの店で聴く時には、判らなかったことさえ忘れて「あれはね、**って曲なんだ」なんてさらりと言えたらいいな、と思う。
 支払いをするためにカウンター前まで行くと、例の女性が待っていた。最初よりいくらか愛想のいい声で会計をしてくれたので、嬉しくて「美味しかったです」と一言つけたのだけれども、音楽でちゃんと聞こえなかったんじゃないかと思う。言ってすぐに恥ずかしくなって、「ごちそうさま」と付け足すと足早に店を出た。無駄な一言を言ったような気がした。
 でも、もし次にこの店に来ることがあれば、多分その時も「美味しかったです」と言っているような気がする。それが礼儀だから、言ったほうが上品だからとかじゃない、ただ自分がそう言いたいからだ。



 20日という日があっけなく終わったように、21日という日もまたあっけなく終わった。