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2014/12/10 ある人をめぐる冒険

 ーー月日は余裕然として私の眼前にどっしりと横たわり、自分を見つめていることを私はよく知っていて、それを理解した上で、ある種の諦めのような、或いは希望のような、些細な反抗を起こし続けています。


 不意に外に出たくなって、だらしくなく外に垂れたワイシャツをしまい、セーターを着ると、そのまま財布の入ったバッグと茶色のコートを掴み、ごそごそと着こみながら靴を履いて、ゆっくりと歩き始た。
 どんどん冬の色合いが増していくにつれて、どんどん寒くなっていくにつれて、かえって私の外に出たいという気持ちは大きくなっていて、かえって外出しやすくなった、というのが素直な気持ちだった。冬の空気は澄んでいて、湿気と臭気との混じりあった夏のそれと比べると、とても快いものだ。息を吸って、吐いて、の繰り返しをよく意識しながら歩いていると、それだけで自分がちゃんと一人の人間として生きていることを実感できて、嬉しくなる。それから、この時期は頭もよく冴えて、歩いたり、座ったりしているだけで色んなことが頭のなかに沸き起こってくる。この時期は吐いた息が白くなるのが、なんだか煙草を吸っているみたいでおもしろくて、そのことを毎年のように日記に書いていることを思い出したり、数日前に読んだ本のことで、不意にこれまでにない解釈が生まれたり、些細な一文に重要な意味を見出すことが出来たり、歩けば歩くほど新しい考えが巡ってくる。

 少し傾きかけてきた日は具合よく橙色になっていて、なんとも言えない、ひとつの懐かしさを醸している。
 ヘッドフォンの中から流れるビートルズとか、イーグルスだとか、ボブ・ディランだとか。それから、最近買ったジョン・デンヴァーも。不意にすべてがこの橙色の空のために生まれてきたのではないか、と思わる時がある。でも、実際には世界というのは凄く個人個人の主観的な観方にもとづいて動いていることもよく知っていて、きっと恋人に向けてうたった曲も、安寧のためにうたった曲も、本当は他でもない自分のためにうたっているのではないか。これは私自身も同様で、結局私も同じように自分中心に生きていて、その中でうまい具合に作用して誰かに希望だとか、或いは失望を味わわせているだけに過ぎないのだと思う。

 なんとなく休みたくなって、目に止まった喫茶店の扉をなにも考えないままに開けると、急になんだか頭がくらくらしてきて、あれこれ考えるのが面倒に感じられてきた。
 喫茶店はとても暖かで、それほど人もおらず、椅子も柔らかく、座るとそれだけで少し楽になった。布巾と一緒に渡されたメニューを雑に見やり、四番目に入ったミートソーススパゲティとコーヒーのセットを頼むと、バッグの中をごそごそやって、他になにかないかと探してみると、先日古本屋で買ったまま放置していた本を見つけた――タイトルは、ボリス・ヴィアン「日々の泡」

 冷えきった手でぼんやりした額を冷やした後、本をめくりはじめた。すると、1ページめには、こんなことが書いてあった。

 従うべきルールなんて作る必要はない。
 たった2つのものがあるだけなんだ。
 1つは恋愛。とにかくかわいい娘との恋愛。
 もう1つは音楽。それもニュー・オリンズデューク・エリントンの音楽だ。他のものはなくなってしまえばいい、醜いんだから。

 こんなふうに自分自身の世界にあるものをばっさりと切り捨てて割り切ってしまえるようになるためには、いったいどうしたらいいんだろう。
 世の中を単純に解釈しようとすればするほど、自分自身をよりシンプルな形へと洗練させようとすればするとほど、人間というものの複雑さ、難解さが私の前に立ちはだかる。私が、これだと言って掴んだものは、私がそれをそれと意識するほどより複雑に歪み始め、それを元の形に押しとどめようとすればするほど、元の形とは比べ物にならないくらいぐちゃぐちゃになってしまう。本当に大事なものだけを持って生きていくのは、とても難しい。歩けば歩いただけ、生きれば生きた分だけそれだけの時間と成果が私の道具として、或いは持ち物になるのだ。いずれその重みに耐えられずに歩けなくなってしまうか、その前に歩くのが嫌になってしまう。捨てることで荷物を切り捨てることはできるけれども、常に楽な道というのはなく、捨てた分だけの苦痛が私を苛むのだ。苦痛を苦痛と思わずに捨て、自分が今本当に持ちたいもの、持つべきものだけをもって歩いていくことができれば、どんなに幸せだろう!

 ふっと周りのことが気にかかった。1ページめをめくったまま、ずっと夢想の深みにはまっていたようだった。ちょうど喫茶店の主人らしい夫婦がスパゲティを用意し終えたところらしく、夫人が盆を持ってこちらに近づいてきて、にこにこしながらスパゲティを起き、それから粉チーズと水を置くと、
 「粉チーズはお好みで。コーヒーは食事の後にお持ちしますね、」と言うと戻って行き、また主人との談笑をはじめた。
 本を閉じて、せっかく持ってきてくれたのだからと気持ち程度に粉チーズをかけると、とても食欲をそそられる香りがして、少し下品なフォークさばきで、むしゃむしゃとスパゲティを口に運んだ。嫌な目で見られはしないかとちらりと主人や他の客をみやったけれども、いずれもお喋りに夢中で全く意に介していないようだった。スパゲティはかくべつ美味しいというものでもなければ、まずいと貶すようなしろものでもない、よくある喫茶店のスパゲティだった。でも、そこが良かったし、すごく気に入ったのも事実だった。
 ひと通り食べ、そのままちまちました具材や麺まで綺麗にたいらげてしまった。フォークを置いて一息つくと、すぐにまた夫人がやってきて、「綺麗に食べてくれてありがとうね、」と言うと、綺麗に容器をさらっていき、淹れたての熱いコーヒーとミルクを持ってきてくれた。コーヒーはいかにも一昔前、という感じの酸味の利いたコーヒーで、自分の好みの味ではなかったけれども、なかなか悪くないものだった。一口飲むと頭も冴えてきて、残りの時間を読書に集中することができた。
 それから一時間ほどのあいだ、ちまちまコーヒーを啜りながら「日々の泡」をめくり続けた。一区切りがついたところでまた少し歩きに行くためにレジに行くと、さっきの夫人が相変わらずにこにこしながらやってきて会計をすると、「また食べに来てね、」と言って見送ってくれた。