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2014/10/22 フランソワ・トリュフォー映画祭の記録「華氏451」

映画

 先日、角川シネマ有楽町にて開催されているフランソワ・トリュフォー映画祭に行って来ました。観て来たのは、トリュフォー唯一のSF映画、レイ・ブラッドベリ原作の「華氏451」です。
今回はそのときの映画館の空気も含めてざっくり、感覚的に感想を書いていく、という体裁にして、軽くして観ようかと思います。詳しい感想などは、またのちに。

華氏451(Fahrenheit 451)」
監督: フランソワ・トリュフォー
原作: レイ・ブラッドベリ
出演: オスカー・ウェルナー
    ジュリー・クリスティ
音楽: バーナード・ハーマン

 文字が排斥され、禁書の名のもとに思想を管理された社会。本の捜索と焼却を仕事とする焚書官“ファイアマン”のガイ・モンターグは書物を焼くことに表現し難い快感を得ていたが、隣家の女性、クラリスとの出会いによって、本につよく惹かれていく。しかし、テレビに洗脳された人々や書物に無理解な人々によって本を読む人々は次々と追い詰められ、窮地に立たされていく。それはモンターグも例外ではなかった……

 上映時間は15時5分で、11時半に出発して大分時間の余裕をもたせたこともあって、席も中段中央のいい席を取ることが出来ました。ただ、中段の席は壁沿いの席を除いてほぼ満杯で、11月の初めに行った「第三の男」のように、余裕を持ってのんびり観る、というような空気はあまりありませんでした。


(消防隊長とガイ・モンターグ消防士)

 しかしながら、そうした空気のおかげか、より気を張りつめて鑑賞できた、というのも事実です。消防車とファイアマンの登場に始まり、鮮やかに行われる焚書の流れを観たところで、既にその独特の空気感に惹き込まれていました。このブラッドベリの物語において、単純にSFアイテムを盛り込むことでディストピアとしての世界観を創りだす、といったことは先ず無理であることは分かりきっていましたし、テーマそのものは非常に古典的なこの作品の世界観をどのように捉えていくのか、というのは、この映画を観ると決めた時から、非常に気になっていたことでした。……その疑問に対する答えは、思いの外分かりやすいものでした。建物や車などの造形に独自のセンスを持ち込むことで、現代のより先の、つまりは近未来の匂いを醸しているのでした。独特の造形美、というとキューブリックの「時計じかけのオレンジ」や、テリー・ギリアムの「未来世紀ブラジル」に見られるような奇抜で華美なものを想起させられますが、この「華氏451」は寧ろ逆で、その無機的で生の匂いのない、不気味とも言えるデザインを盛り込んでいるのです。これは、後々になって実感させられたことですが、こうした偏った造形は、ブラッドベリ幻想文学作品などにも見られる現実世界の不気味さ、滑稽さをより強調させています。

 
(老婦人と燃やされる書物)

 テレビに夢中になるリンダの姿や、本を軸にした監視社会の嫌味っぽさはある種おかしく感じられるところもあり、中にはこうした噛み合わない華氏451の世界の人々を見て笑っている観客の方などもいたのですが、私はとても笑うことが出来ませんでした。それは、この偏ったコミュニケーションに頼り軸のない生活を送る人々が、現代の人々の一つの側面としてあるのではないか、と思われたからです。後に続くシーン、老婦人の焼死、リンダによる告発、消防隊長の罵言と焼殺、と、一つ一つと不気味さが増し、最終的にはより大きな狂気となって、主人公ガイ・モンターグに襲いかかる様はなんとも言いがたい息苦しさに包まれています。
 そして逃亡した末の、書物人間との出会いによって、一気にその世界に光が差し込み、急速に物語の終焉へと向かっていきます。この地獄郷と言うほかない世界の中で、どのように書物と向き合っていけば良いのか?という問題に、ブラッドベリの答えが提示されており、世界から逸脱して一つの安寧を得るモンターグの姿、そして過酷な世界の中でもしたたかに、そして豪胆に知識を繋いでいこうとする人々を力強く、それでいて自然に描き切っています。偶然から生まれたラストシーンは、思いもよらぬ感涙を誘う、原作にない名場面として、強く心に残っています。

 原作ファンのひとりとして、強いて意見を盛り込むとすれば、消防隊長、原作でいうところのビーティを、もっと物語に食い込ませることは出来なかったのか?という点でしょうか。これは、もっと消防隊長の狡猾さや、原作にあった愛情と憎悪がないまぜになってぶつけられる本への罵言を、もっと感情的に、それでいて主人公により迫る形で映像に盛り込めたのではないかと、私は思いました。実際、消防隊長の最後のシーンの表情ワンカットを見ても、単なる典型的悪役像にしてしまおうという意図は見えませんし、もっと彼のキャラクターを掘り下げても良かったのではないかと思います。
 これについてはまた追々、きっちり感想記事を書く際にいろいろ書いてみようと思います。

 とてもいい映画でした。フランソワ・トリュフォー映画祭も10月末まで開催されていますから、もし風邪の調子が良くなるようであれば、来週、もう一度観に行こうかと思います。「華氏451」は異端作でしたから、今度はトリュフォーの代表作「大人は判ってくれない」などを。