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映画「ブレードランナー(Blade Runner)」

映画「ブレードランナー
監督: リドリー・スコット
原作: フィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか?
出演: ハリソン・フォード、ルドガー・ハウアー

環境汚染によって多くの人々が宇宙移住を余儀なくされた地球、残された人々は酸性雨の降りしきる中に形成された電脳都市で生活していた。ある時、宇宙開拓のために開発されていた“レプリカント”と呼ばれるレプリカント六名が、スペースシャトルを強奪し地球へと降り立った。
反人類的な思想を抱くレプリカントを抹殺するべく任命された特殊捜査官たち“ブレードランナー”の一人であったリック・デッカード(ハリソン・フォード)は、レプリカントたちとの抗争に疑問を抱きながらも、降り立ったレプリカントたちを抹殺すべく捜査を開始した。


 原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」で提示された生命存在についての再考というテーマをはじめとして、アンドロイドから人造人間レプリカントへの置き換えといった点などを見ても、原作の映画化というよりは、原作のシナリオを基にした別機軸の映画化作品といった趣が強い。が、日本を主とした猥雑なアジア都市の景観を未来都市に盛り込んだサイバーパンキッシュな都市像の創造、ヒロイックな対科学生命ものという旧来のアクションSFから一歩踏み込んだ強烈な投げかけなど、原作にはない魅力を幾多も生み出している作品であり、その先鋭さは原作にも引けを取らない。

 とりわけ印象的だったのはやはりアジア色豊かな都市観と、原作とは大きく異なる、主人公と視聴者に圧倒的な存在感を示すロイ・バッティ(ルドガー・ハウアー)の存在。
特にその日本色豊かな近未来都市像は、日本人SFファンに支持される大きな要因と言ってよく、激しい雨の降り注ぐ高層ビルの巨大モニタに映る芸妓と「強力わかもと」の6文字にビビッと来ない日本人はきっといないだろう。加えて、リック・デッカードの捜査召集の前の屋台で行われる日本人店主の「ふたつでじゅうぶんですよ!」には思わず「なんだこの掛け合いは、」と苦笑せざるを得ない。こうした濃い日本色を海外映画で見られるのは、1982年当時としてはかなり珍しいのではないだろうか。また、単純にその電脳的な奇怪さただよう近未来都市像は非常に前衛的な試みであり、海外発の映画ながら日本の映像文化に於いても多大なる影響を与えていることは確かであり、そうしたオマージュ作品などが現在の映像作品にも散見される。監督リドリー・スコットによれば、日本の歌舞伎町の夜間都市像からインスピレーションを得た、とのことだが、こうした独特の東洋色と荒廃した都市像が混ぜ込まれた独特の艶やかと妖しさただよう世界観は非常にサイケデリックでもあり、原作者フィリップ・K・ディック自身の麻薬体験の投影にも思えたりする。商業的に大成功とまではいかなかった作品でありながら、SF映画のニューウェイヴとしてこれほどまでに高く評価されるのは、やはりこの形骸化した整理された近未来像の破壊という一点によるところが大きいのではないだろうか?
 そして二点目の魅力が、ブレードランナー・ファンになお敬愛され続けているルドガー・ハウアー演じるロイ・バッティの存在だ。原作と同様に地球に降り立ったものたちのなかでもリーダー格の存在として描かれているのだが、アンドロイドの退治のその先の課題へ踏み込んだ「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」からアクションムービーと言うアレンジのために、厳然として主人公リック・デッカードに立ちはだかり、最終盤まで観客を惹き込み、魅了してやまない。また、その映画としての立場づけからくる魅力はもちろんのこと、ルドガー・ハウアーの好演によるところも非常に大きい。人造人間という事実を印象付けるその意図の読めない愚直すぎる視線と不敵な笑み、観客の思考回路を超えた行動をそつなく、それでいて大胆に演技してのける豪奢さ。どこを取っても絵になると同時に、思わずぞくりとさせられるような不気味さに満ちている。そしてそうした幾多もの要素を見せ付けられたうえで、最後にロイ自身の口で語られるメッセージはきわめて強烈。そのエンディングの語らなさも相俟って、他のSF映画にはない余韻を残している。


 原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」から大胆にアレンジされ、アクションSFとして新機軸の魅力を惜しむことなく盛大にぶちまけた今作は、原作とはまた違った投げかけをしてくれると同時に、映像面でも進化と変化に満ちている。
アクションSFの傑作として評されるに能うだけのものに仕上がっており、現在から見ても濁ることのない先鋭さを感じられる作品と言ってよいだろう。