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西谷史「デジタル・デビル・ストーリー」三部作

 先月購入して置いたデジタル・デビル・ストーリー三部作を読み終えたので、シナリオの総括がてら感想など。

デジタル・デビル・ストーリー 女神転生
東京・国立に在る十聖高校の生徒・中島朱実(ナカジマアケミ)は、プログラミングと数理に長け、若輩ながらコンピュータ理論と魔術理論の類似性に着目し、私的に「悪魔召喚プログラム」の開発していた。自身の開発した悪魔召喚プログラムに強い価値を見出した中島だったが、いくつかの理由から稼働実験にまではいたらずにいた。
が、近藤弘之、高見沢京子に殴打の暴行を受けた中島は、復讐心から十聖高校内のCAIルームのコンピュータを利用し衝動的にプログラムを稼働させてしまう。実体化にまではいたらなかったが、悪魔ロキとの対話・命令に成功し、2人を殺害してしまう。これによって好奇心を抑えられなくなった中島はCAIルームで同級生や小原教諭らを利用しながら悪魔の実体化実験を始める。
人間を生贄とした生命エネルギーの吸収に乗り出した悪魔ロキと中島は、着々と実体化への歩みを進めていく。そんな時、悪魔ロキは次なる生贄に、転入生・白鷺弓子(シラサギユミコ)を指名する。躊躇する中島だったが、ロキの暴走を止められず、弓子を生贄に捧げてしまう。……

デジタル・デビル・ストーリー2 魔都の戦士」
女神転生の事実を知った中島は、女神イザナミとの協力によって悪魔ロキを打ち倒すことに成功したが、悪魔のとりことなった小原教諭の暗躍によってアティルト界とアッシャー界(現実世界)との隔たりがなくなり、それに目をつけた邪神セトが姿を現した。中島に同じく悪魔召喚プログラムの開発を行っていた黒魔術研究者、イスマ・フィードによって実体を得たセトは、アッシャー界の征服へと乗り出していく。
イスマ・フィードを追うべく来日した、イスマの兄にしてMIT工科大教授チャールズ・フィードは中島や弓子、内閣情報捜査官成川を協力者として、セトの野望阻止を図る。
が、その計画もむなしく数万人の生贄によって実態化したセトは猛威を振う。悪魔と化した小原教諭によって弓子は目を潰され失明し、失明した弓子の身を救ったツクヨミ神の転生存在である成川も、セトの手によって葬られてしまう。
邪神の召喚者であったイスマも実体化したセトの前では命令行使がきかず、あえなく殺されてしまう。残された打倒策は、静止衛星スコーピオンを利用し宇宙空間に転移したセトを自身の手によって打ち倒す事のみだった。……

デジタル・デビル・ストーリー3 転生の終焉」
セトの打倒に成功したものの、東京は壊滅的な被害を受けた。残された人々も行き場を失くし、その怒りを悪魔への復讐のなかに見出していた。
そうした人間感情に目をつけたのは、数多の神を従える魔王ルシファーだった。悪魔への復讐心を抱くひとびとを先導し、天使セイレーンを祖とした“聖セイレーン教”を作り出す。また、セトの下僕であった悪魔ラルヴァは数人の男たちを先導し悪魔化させるほか、幻獣アピペによって政府関係者を操っていく。
 一方、セトを討ち果たしたものの、弓子に治療不能の傷を負わせてしまった中島は、元凶である自身への自己嫌悪と悔恨の念に駆られ精神を病んでいく。
尽きない人間たちの欲求と、それを利用する悪魔によって、一見復興に向かっていくはずの東京はゆがみ始めた。そうした混沌の中で、中島は暴徒化した聖セイレーン教団に捕まってしまう。一連の大災害の元凶として罪を問われた中島は極刑を言い渡され、広場で公開処刑されることとなった。すでに悪魔との闘争心を失った中島は父や弓子、死者たちへの悔恨の情から、極刑を受け容れれようとする。……
 


 現在も続くビデオゲームシリーズ「女神転生」の原点となったライトノベル三部作。
 一作目のシナリオこそシンプルなコンタクト系伝奇SF、という体裁を取っているが、二作以降は、悪魔との闘争を主体としたオカルトものとしての傾向が強い。こうしてオカルトものと簡単に書いてしまうときわめてありふれているもののように思えるが、このデジタル・デビル・ストーリーはそうした作品とは一歩距離を置いた視点から描かれている。
 主人公は天才プログラマにして美青年中島朱実と、同じく美少女白鷺弓子というライトノベルらしいキャラクターではあるが、いずれにしても献身的な面を持ち合わせている一方で、きわめて人間らしい自己中心的な面や欲求に忠実な面もいくどとなく見せている。実際、すべての悲劇の起りは中島朱実の短絡的な行為によるものであり、もしこの物語において一番の罪びとを選べ、と言われたら、恐らく主人公だと言わざるを得ないだろう。また、物語の主線もそうしたキャラクターの罪の側面もあってか、主人公中心でなく、あらゆる面から描かれている。中島たちが動いていく一方で常に悪人側、そしてそれを知らない者たち、それらに利用されている人々も並行して描いており、単純な勧善懲悪的ヒロイック・ファンタジーとは一線を画している。
 とりわけそうした著者・西谷氏の独自の視点が垣間見えるのが三部「転生の終焉」で、これらはもはや中島や弓子、悪魔たちといった当事者だけでなく悪魔たちとのコンタクトの中で歪められていく人々すべてを描いていこうとする強い意志が認められる。特に、当初あからさまな悪として描かれていたラルヴァ派の三人組の一人にドラマ性を持たせ、それと同時に救世主として完成されつつあった聖セイレーン教団の持つ凶暴性を切りだし、読者がそれまで持っていた善悪の概念をめちゃくちゃにすることでそれを際立たせている。また、その人間対悪魔の図式が崩壊したまま、絶妙な余韻を残しながら物語の終焉を迎えているのも興味深い。中島と弓子の物語の中で依然として残る人間と悪魔との問題――聖セイレーン教団によって確かに人間たちは団結の意志を見せ始めたが、悪魔排斥を理由に悪魔的なまでの暴力を振るうことは真に正義と言えるのか? 人間が悪魔化し始めた東京において、もはや悪魔と人間と言った選民思想はほぼ無意味ではないか? ……と言った幾多の問題、投げかけが強烈に残る。これはビデオゲームシリーズ・女神転生(真・女神転生)にも脈々と受け継がれている要素であり、ゲーム・小説に関わらずデジタルデビルストーリーの最大の魅力だ。ファミリー・コンピュータで展開された女神転生シリーズも第一作以降はアトラスによるオリジナル・ストーリーとなったが、その最大のテーマである「悪魔の跋扈する世界の中でどのように物語の核に迫っていくか」は。後の作品、現時点での最新作「真・女神転生IV」まで色を失うことなく残っている。

 デジタル・デビル・ストーリーがこうした奥深さや、他にない魅力を内に秘めているのは、単純に悪魔との関わりという発想によって読者の想像を刺激するばかりでなく、悪魔のいる近未来、という世界観の中で読者に一考を呈するような投げかけををしてくれるからかもしれない。
ビデオゲームシリーズの原作だから、と言う他愛ない理由から手にとったものだが、思いもよらず夢中にさせられた。ファミリーコンピュータのシリーズはもちろんのこと、後の真・女神転生シリーズを語るうえでも欠かせない作品に仕上がっている三作で、新シリーズにも期待したい。



2014/10/11 誤字訂正、また大幅に文章を追加