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フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(ハヤカワ文庫SF刊)

第三次大戦後、放射能灰に汚された地球では生きた動物を持っているかどうかが地位の象徴になっていた。人工の電気羊しかもっていないリックは、そこで火星から逃亡した〈奴隷〉アンドロイド八人の首にかかった賞金を狙って、決死の狩りをはじめた!(ハヤカワSF文庫あらすじより引用)


 この作品について、何よりも先に語るべきは、そのあらすじと、作品そのものが持つ主張性との落差についてだろうと思う。
その奇怪な題名とあらすじだけ見ると、てっきりきわめて娯楽的な、近未来アクション作品かと思ってしまうかもしれない(実際、私はそう思った)が、それは大きな誤解である。実際、“共感ボックス”と名付けられた装置を媒介として独自の道徳観(マーサー教)を流布させる謎の老人ウィルバー・マーサーや、荒廃した地球の数少ない娯楽であるTVショーで絶大な人気を誇る人気司会。地位顕示の道具として手厚く保護される生物と、ぞんざいに扱われる電子動物、と言った、単なる科学進化の成し遂げられた近未来という予測にとどまらない、ディック自身の個人的洞察を色濃く反映させているという点においては、他の作品と比べて異色であるのは間違いないのだが、その異色さだけを見るのでは、この作品の芯まで味わいつくすことは出来ない。

 今作において特に感心させられるのは、架空近未来というディック自身によって構築された一つの世界体型のなかで、読者に向けて投げかけが行われている事だ。
放射能汚染によって荒廃した地球下では、最早文明を持った人間の管理下以外では、生命を維持する事が出来なくなった生物たちが珍重される一方で、その進化した文明の維持・発展のなかで重要な役割を担っている、高度な人格とからだを持ったアンドロイドは、排除の対象となっている。そして、文明を持つ人間たちでさえ未来への行き場をなくし、アンドロイドや、マーサー教の加護なしには精神的安寧を保つことが出来なくなってきている……。
こうした大前提の中でアンドロイドの排除を続けてきたバウンティ・ハンター、リック・デッカートは、人間社会に深く根を張り、人間と共に密かに社会生活を送るアンドロイドと言う存在についてあらためて見直さなくてはならないことに気付き、アンドロイドの破壊を続けながら苦悩する。そして憔悴しきり、生命に絶望する――しかし、それでもなお、生命存在への飽くなき愛によって助けられる。いったい、人類が本当に尊ぶべきはなんなのか?――

この小説に於ける最終課題は「生命とは?」と言う、きわめて基本的なものであるが、そうしたきわめて普遍的なテーマは決して陳腐化しておらず、むしろそのディックによって構築された新しい世界のもと、非常に鮮やかな心でもって、受け容れることができるだろう。
こうしたある種の文学性を、サイエンス・フィクションと言う形で受容できるのは、貴重な体験である。こうした新しい目線、新しい世界観のもとで描き出される物語は、SFファンのみならず、純文学読みをも夢中にさせてくれる(場合によっては、後者の方が夢中にさせられるかもしれない)。
私のSFという新境地への挑戦をこころよく受容してくれた一作として、ぜひ愛読書にしたい一作だった。