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聖書・マルコによる福音書引用文

12.
丈夫な者に医者はいらない。医者のいるのは病人である。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。

13.
安息日は人のためで、人が安息日のためにあるのではない。だから人の子はまた安息日の主人である。

16.
人の子らの罪も、また、いかなる冒瀆の言葉でも、すべて赦していただける。しかし聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠の罪に処せられる。

16.
ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。神の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母である。

18.
わたしから聞くことに気をつけよ。わたしの言葉を量る量りで、あなた達も神に量られる。そしてよく聞く人は持っている上になおつけたして与えられる。持っている人は更に与えられ、持たぬ人は、持っているものまでも取り上げられるのである。

23.
イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、その郷里と親族と家族のところだけである。」

28. マルコ
”この民は口先でわたし(神)を敬いながらその心は遠くわたしから離れている。彼らは熱心にわたしを拝むが無駄である、彼らが教えとして教えているのは、人間のつくった規則であるから””父と母を敬え””父または母を罵る者はかならず死に処せられる”

29.
皆、わたしの言うことを聞いて悟れ。人の体の外から入って、人をけがし得るものは何もない。人から出るものが、人をけがすのである。

29.
人から出るもの、そちらが人をけがす。内から、つまり、人の心からは邪念が出るからである。すなわち不品行、盗み、人殺し、姦淫、欲張り、悪意、悪巧み、道楽、妬み、悪口、高ぶり、愚かさなど。これらの悪は皆、内から出て人をけがすのである。

32.
この時代の人はなぜ徴を求めるのだろうか。アーメン、わたしは言う、この時代の人に徴が与えられるものか。

34.
だれでも、わたしについて来ようと思う者は、まず己れをすてて、自分の十字架を負い、それから私に従え。十字架を避けてこの世の命を救おうと思う者は永遠の命を失い、わたしと福音とのためにこの世の命を失う者は、永遠の命を救うのだから。全世界をもうけても、命を損するのでは、その人になんの得があろう。また、人は一度失った永遠の命を受けもどす代価として、何か神に渡すことができようか。わたしを信ずると言いながら、神を忘れた、罪のこの時代において、わたしとわたしの福音を告白することと恥じる者があれば、人の子も、父上の栄光に包まれ、聖なる天使たちを引き連れてふたたび地上に来る時、その臆病者を弟子と認めることを恥じるであろう。

36.
わたしを信ずるこの小さな者を一人でも罪にいざなう者は、大きな挽臼を頭にかけられて投げ込まれた方が、はるかにその人の仕合わせである。もし手があなたを罪にいざなうなら、切ってすてよ。両手があって地獄(ゲヘナ)の消えぬ火の中へ行くよりも、片手で永遠の命に入る方が仕合わせである。もし足があなたを罪にいざなうなら、切ってすてよ。両足があって地獄(ゲヘナ)に投げ込まれるよりも、片足で永遠の命に入る方が仕合わせである。もしまた目があなたを罪にいざなうなら、えぐりだせ。両目があって地獄(ゲヘナ)に投げ込まれるよりも、片目で神の国に入る方が仕合わせである。地獄(ゲヘナ)では、”蛆(うじ)は永遠に死なず、火は消えない”で、その人たちを責めさいなむからである。人は皆、火で塩味をつけられねばならない。塩は良いもの。しかし塩に塩気がなくなったら、何でもう一度塩味をつけるか。いつも心に塩を保ち、互に仲良くせよ。

40.
モーセはあなた達の心が神に対して頑固なために、この掟を書いたのである。しかし天地創造のはじめから、”神は彼らを男と女に造られた。”それゆえに人はその父と母とをすてて、二人は一体となる、とモーセは書いている。従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は皆神が一つの軛におつなぎになったものである。人間がこれを引き離してはならない。

41.
神お一人の他に、だれも善い者はいない。するべきことは神の掟を守ることだけで、掟はあなたが知っている通り。――”殺してはならない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、”奪い取ってはならない、”父と母を敬え。”ただこれだけである。

42.
人間には出来ないが、神には出来る。”神にはなんでも出来る。”

42.
さあ、いよいよわたし達はエルサレムへ上るのだ。そして人の子はそこで大祭司連と聖書学者たちとに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異教人に引き渡し、異教人はなぶり、唾をかけ、鞭で打って、ついに殺すのである。しかし三日の後に復活する。

43.
あなた達が知っているように、世間ではいわゆる主権者が人民を支配し、またいわゆるえらい人が権力をふるうのである。しかしあなた達の間では、そうであってはならない。あなた達の間では、えらくなりたい者は召使になれ。一番上になりたい者は皆の奴隷になれ。人の子が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。

45.
”ホ サ ナ !”
主の御名にて来られる方に祝福あれ。
来たるわれらの父ダビデの国に祝福あれ。
いと高き所に”ホ サ ナ !”

46.
なお立って祈っている時に、だれかに恨みがあったら赦してやれ。これは天の父上からも、あなた達の過ちを赦していただくためである。

50.
第一はこれである。――”聞け、イスラエルよ、われわれの神なる主はただ一人の主である。心のかぎり、精神のかぎり、”思いのかぎり、”力のかぎり、あなたの神なる主を愛せよ。”

50.
第二はこれ。――”隣の人を自分のように愛せよ。”これら二つよりも大事な掟はほかにない。

51.
”神なる主はわが主に仰せられた、
『わたしの石に坐りなさい、
わたしがあなたの敵を征服してあなたの足の下に置くまで』
と。”

53.
あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

59.
もっと眠りたいのか。休みたいのか。もうそのくらいでよかろう。時が来た。そら、人の子は罪人どもの手に渡されるのだ。立て。行こう。見よ、わたしを売る者が近づいてきた。

64.
”エロイ エロイ ラマ サバクタニ!”
――”わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!”

66.
彼らに言われた、「行って、全世界のすべての人に福音を説け。信じて洗礼を受ける者は救われ、信じない者は罰せられる。そして信じた者の伝道には、次のような不思議な徴が伴うであろう。――わたしの名を使って悪鬼を追い出し、新しい霊の言葉を話し、蛇をつかむことができ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手をのせればかならず癒えるであろう。」主はこのように彼らに語った後、”天にあげられて””神の右にお坐りになり、”弟子たちは出ていって到る所で教えを説いた。すると主は彼らと共に働いて、その伝道にいろいろな不思議な徴をともなわせ、御言葉を保証された。