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映画:気狂いピエロ

映画

監督:ジャン=リュック・ゴダール
脚本:ジャン=リュック・ゴダール
原作:ライオネル・ホワイト

日々の生活に退屈し切っていた、男・フェルディナンと、昔の愛人マリアンヌの逃避行を描いたミステリー・サスペンス映画。

この映画を見ようと思った理由は「観ておくべき映画リスト」に載っていたから、という理由以外には特になく、ほとんど気まぐれのようなものから見るに至った。そのために、どんな監督が製作したのか、どんな俳優が演じているのかは勿論、この映画が米英映画ではなく、伊仏映画である事さえ知っていなかった。況してや、こんな難解な映画なんて、夢にも!

兎角、この映画はよく分からない!あまりにも難解なために、リマスターDVDに映画専門家の解説付きで映画を観る事が出来るオプションがついたくらいだ。
先ず手始めに、映画や美術初心者にはあまりにも難しすぎるフェルディナンの映画講座から始まり、独特の雰囲気を醸し出すパーティ会場に。そして一夜の古くの愛人との再会から、前触れもなく突然に表れる一人の死体。そこから間を空けずに、やって来た友人をワインボトルで殴打し愛人マリアンヌと逃避行を始める――なんとも常人には理解しがたい、倒錯的な物語で、こんなのを、突然見始めて理解できるやつのほうがおかしい、と私は言いたい。

なにもかもが説明不足で、物語の大半は「深い芸術的見識を持つ”あなた”でしたら、きっと言わんとしていることを解してくれるでしょう。」と言ったような調子。その「深い芸術的見識」をお持ちでない私にはとんと意味が分からず、一挙一動の中に持つ深い意味を手探りで考えて見ても、最後には疲れ果てて、今目の前に見える情景と人物たちを目の中で捉えるだけになってしまった。
が、一方でこの映画のファンたちが皆口を揃えて「そこがいいんだ!」と言っているのも事実で、なんともこの不可解さを一概には否定できないものがある。

実際、一概に自己満足じみた斜に構えた芸術映画、という風な文句をつけて終わり、という風には出来ないものがある。
序盤で放たれるマリアンヌ(アンナ・カリーナ)の「小説のように生きたい」という言葉は、なかなか胸に刺さるもので、実際に細かい説明こそないものの、この独自の価値観と人生論を持ったマリアンヌの姿勢は一貫していて、共通の価値観を持ったピエロ(フェルディナン)と生きていく姿は、魅せられる。一連の逃避行が終わり詩や小説を書き、安寧を求めるフェルディナンと行き違いを起こすのもまた面白く、特に最終盤での流れは圧巻で、独特の余韻も残る。

それから、これは少しばかり見た「解説付きムービー」の感想なのだが、とても興味深いものだった。私が気に留めていなかった外観や背景のいたるところにゴダール監督の趣味と、主張とが盛り込まれており、前述の「深い芸術的見識」をお持ちの方であれば、なお面白いだろうと思う。

まず第一に言えるのはこの映画が極めて難解で、私のような映画初心者にはなかなか理解しがたい物であるということ。二つ目に言えるのが、だからといって、全部ひっくるめて悪いと言ってしまえないような、独自の魅力とを秘めた映画であるということ。そして三つ目が、この映画では、「一度観て全部を観た気になってはいけない」とうこと。

この映画の魅力は、一度見て分かるようなものではなく、乾燥しきったビーフジャーキーの如く、噛み締めるたびに味の出る、深みのあるところ。一度観たところで偉そうに批評できるような簡単な映画じゃない。
是非次回は解説付きで、ムービーを鑑賞し、改めてレポートなどを残しておきたいと思う。