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読書記録. アゴタ・クリストフ - 悪童日記

アゴタ・クリストフ悪童日記

戦争が激しさを増し、双子の「ぼくら」は、小さな町に住むおばあちゃんのもとへ疎開した。その日から、ぼくらの過酷な日々が始まった。人間の醜さや哀しさ、世の不条理―非情な現実を目にするたびに、ぼくらはそれを克明に日記にしるす。戦争が暗い影を落とすなか、ぼくらはしたたかに生き抜いていく。人間の真実をえぐる圧倒的筆力で読書界に感動の嵐を巻き起こした、ハンガリー生まれの女性亡命作家の衝撃の処女作。(ハヤカワepi文庫よりあらすじ引用)

最近はどうにも古典文学ばかりぺらぺら読む日々が続いて、文学好きな私も流石に食傷気味な感があった。主義主張だとかを抜きにした、もっと分かり易い、少年の物語はないかと探していた際に、「こんな本なんかどうです?」と、某ウェブページで進められたことから、手に取るに至った。

物語は極めて単純で、十歳前後だろうと思われる双子の少年が、小さな町に疎開し、悪い老婆や、兵隊たちをはじめとした、荒廃した人々に揉まれながらたくましく生活を営んでいく、と言うもので、構成も少年たちの日記を盗み見るような、解りやすいつくり。
文体は、著者であるハンガリー人のクリストフが、年を取ってから学び始めたフランス語で書いたために、あまり情景描写や感情表現のような抽象的で表現のしにくい描写はなく、訳文も少し稚拙さを感じさせるくらいにシンプルだが、それが面白い事に「読み書きを学び始めて間もない少年の日記」という設定をより強固なものにするのに、一役買っているのだ。ちょっとしたぎこちなさを残しながらも、独自の表現の法に基づいて文章をつくっており、それがまた説得力を持たせてくれる。

世界観設定は私好みで、二人の幼い少年と、小さな森と山のある田舎ということだったが、大戦争下の荒廃した町と人々とを描きながら、少年たちの成長を描くのが主となっており、私が期待したような美しい森を少年たちが微笑みながら駆け回る、なんて描写は無い。それどころか、下手な戦争小説なんかよりも悲惨な事件について描かれており、”安楽死””人種差別(どこの人種かは作中では示されていないが、ユダヤ人であるとの指摘がある)””身体障害””殺人””拷問””性の乱れ(もっと的確な表現が可能だが、敢えて曖昧にしている)””戦争”と、どれも少年たちの物語としてはよろしくない題材。
だがそれが逆に、身体を汚しながらもたくましく、健気に生き、人を理解しようとする真摯な姿勢につよく胸を打たれる。聖書を読み、読み書きを覚え、聖書の御言葉を諳んじながらも救世主の存在を信じず、超次元的な救済を望まずに、ただ人を理解し、その日を知り合いたちと共に十分に営むことを善とする姿勢は創作ながらも、私自身学ぶべきところが多くある。

それから特筆すべき点として、物事を大袈裟に描写しようとせず、一挙一動から起こりうる感動の芽生えを、全て読者に委ねているという点が挙げられる。これも私が非常に感心させられた点で、フランス語を解し切っていなかったアゴタ・クリストフは、感動をより強いものにするための要素や描写を最小限にとどめ、そこから生まれる感情をより大きなものにするかしないかを、読者の思考と感性に任せるという面白い手法を取っているのだ。文学的には一つのやり方として以前から確立していた手法だったが、美しい描写や劇的な表現による感動を好んでいた私には非常に目新しく感じられた。なにも発信者側が無理に感動を作ってやらずとも、読者側が数少ない事実を反芻し、こちらが放ったメッセージを十二分に理解してくれる、というのは、美術的表現を良しとしていた私には非常に学びになった。この文章の書き方は、以後の課題としたい。

物語の内容についての感想は控える。
前述のとおり、この作品は少年たちの手記という形式で、4,5ページの小話数十によって本が作られているため、この小話の一つでも話すことは、これからこのパン(本)を手に取ろうとする人に、私が一口齧ってからパンを食べろと言っているようなもので、物語の没入感を弱めることになりかねない。ただ、一つ言いたいのは、重い題材を扱いながらも、読むのが苦にならない、分かり易い文体で、これらの題材に臆さずに読んでもらいたい、ということ。

この「悪童日記」は後の作品である「ふたりの証拠」「第三の嘘」と併せて三部作とされている。本作では<ぼくら>だとか言った表現が使われ明かされなかった主人公の少年二人の名前が明かされるようになる、とのこと。
先日感想文を記した「赤と黒」の下巻を読み終わり次第、あたらしく手を付けようと思っている。