読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

映画:酔いどれ詩人になるまえに

映画

「酔いどれ詩人になるまえに」
原作:チャールズ・ブゴウスキー
脚本・監督:ベント・ハーメル

仕事場を抜け出しては酒を飲み解雇され、また小さな仕事にありつきまた飲んだくれてクビになる。バーで見つけた女と一日に4回もセックスし、少し金を手に入れれば金持ち気取りで服を仕立て、競馬と酒に浸るどうしようもないろくでなしの自称作家の男の生活の一片を描いた、原作者チャールズ・ブゴウスキーの自叙伝的映画。


第二次世界大戦後の米国文学界でも著名な作家の自叙伝"的"映画という事だけを聞いて観る事を決めてしまったために、どういう作品なのか、と言うのは一切把握していなかった。私の中のチャールズ・ブゴウスキーという人物のイメージ像も結構曖昧なもので、映画を見終わるまでは、先日の「二十日鼠と人間」のジョン・スタインベックのような、アメリカの底辺労働者を描いてきた人物だと思っていた。

実際には、そんな立派な人間ではなく(こういう表現は非常に不躾ではあるが)、言うなれば私の想起した「米国人的な駄目人間」の典型みたいな人物。好きなものは、煙草と、酒と、女性と…ナニするのが大好きで、仕事なんてのはくそくらえ。適当にやって金さえもらえれば後はどうにでもなっちまえ、と言うような性格。

映画の主人公ヘンリー・チナスキーもそれと同じく煙草と競馬と女と酒ばかりの男。でも、自称作家と言う通り、文章を書き、自分の気に入った出版社に何度となく送り続ける、どうしようもないろくでなしながら、全否定しきれない不思議な実直さがある。
この映画はそんなヘンリー・チナスキーの生活の一片、特別でもなんでもない、酒と女に溺れるだけの生活を描くという少し変わった映画。一般的な映画の場合、なんらかの見せどころやここだ!と言うような相手に感動を与えるような重要な場面は無い。あくまでも、ヘンリー・チナスキーの生活を淡々と映していくだけ。その生活と言うのも、下品で、悲惨で、救いがたいものだ。仕事を投げてクビになり、やけくそになって持ち金がなくなるまで飲んだくれる。気が済んだらまた小さな仕事にありついて、そうしたら儲けた金でまた飲んだくれる。時に女性に股を開かせたなら、今度は一日4回の性交渉がついてくる、仕事仲間と競馬で一儲けしたなら、少しばかりの間だけぱりっとした小洒落た服なんかを買う。期間ごとに送った原稿はことごとく不採用で、一銭の金にもならない。
もちろん、一切の話の波がなく平坦な話が続くわけではなく、一連の生活もいくつかの小話に区切られていて、ちょっとした事も発生する。が、それが特別受動者に何らかの感動をもたらすわけではなく、飽くまでも視聴者はろくでなしチナスキーの生活を見続けるだけだ。エンディングも壮大な「転」と「結」があるわけでもなく、男の唯一の特技が、ほんのわずかに生かされた、という現実を少しばかり魅せられたところで、ぷつんと話は終わってしまう。

今まで私が観、感想を書いてきたような映画とはかなり差異のある雰囲気や質を持った映画だな、というのが見終わっての感想だった。
全く共通点がない、というわけではないにしても、この主人公の立ち振る舞いと言うのは、正直理解に苦しむ。女と別れ、その日暮らしで飲んだくれるチナスキーを観ていると、非常に気分が滅入る。このヘンリー・チナスキーというやつは、私自身が羨ましくなってしまうくらいの男前という点を除けば、私が想像する「典型的な駄目人間」のそれとほとんど同じで、彼の立ち振る舞いを見ていると、時々に「なんてことをするんだ!」とか「おい、そんなことはやめろ!」と思ったり、胸糞が悪くなったりする。はっきり言ってしまうなら、私の好みじゃない。
映画としても起承転結のような組が取られているわけではなく、従来の映画の楽しみ方では、満足感を得にくい作りだ。しかしながら、非常に見終わった後は非常に感慨深いものが残る。私は彼みたいな、飲んだくれの、くそったれなやつは大嫌いだけれども、彼の文章を書くと言う行為に対しての実直さは感心出来るものがあり、どうにも「このろくでなしめ、お前みたいな奴はさっさと死んじまえ!」なんては言えない。

社会的に見てどう見ても負け組で、駄目なやつ、ヘンリー・チナスキーの生き方について、チャールズ・ブゴウスキーの生き方について考えようとするか、何か思う事があるか、或いはそうでないかでこの映画の感想と言うのは大分変わる。
私個人の感想としては、好みな映画ではないけども、何かしら得るもの、心を動かされるものがあった。

少しテイストの変わった一つの面白い作品として、心に留めておきたいと思う。