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映画:田園に死す

 昨日、母に「DVDを借りてくるが、何か観たい映画でもないか」と聞かれたので、名前だけ記憶に残っていた「田園に死す」と「嵐が丘」を借りてきてくれと頼みました。
今日の昼に、やる事も済ませて暇であったので、「田園に死す」を早速観てしまったのですが……これが、衝撃的なものであったのです。

内容があまりに凄まじいものであったので、ちょうど観る心算であった方の為に念の為配慮し出来る限り核心的な部分については伏せながら、感想をいくらか書きなぐってみようと思います。


あらすじは、
「『恐山の麓の寒村に少年が一人在る。娯楽の少ない辺鄙な村に住まう彼の数少ない楽しみは恐山の霊媒師を介して死んだ父の魂と会話をすることで、母の御小言を言われる度に恐山に登った。
或る日、彼の村にサアカス団が訪れた。サアカスの一員であった空気女から遠くの街についての話を聴いた少年は、遠くの街に憧れを抱くようになる。そんな中、少年の家の隣に住まう人妻に、一緒に汽車に乗り、どこか遠くへ行かないかと誘われ、少年は手筈を整え駈落ちすべく待ち合わせの納屋へ向かう……』という少年時代の思い出を元に映画を製作する男が居る。その映画は周囲の人々にも熱く支持されたが、男は映画の演出として脚色された為に本来の少年時代の記憶との剥離について悩んだ。私の少年時代は斯様な美化されたものではなく、もっと陰惨で、気狂いじみていたのだ。評論家の『君がタイムマシンによって数百年前まで遡り、君の先祖を殺したとしたなら、君はどうなるだろう?』という問い掛けと共に、脚色の無い男が過ごした本来の少年時代が思い起こされる……。」
と言うもので、所謂劇中劇という演出技法が用いられた映画です。とは言っても私は映画についての知識は皆無ですから、詳しい事はよく解りません。私は「あッ、今の演出良いねえ!」なんて語れる演出家でもなければ、月に数十の映画を見る真性の映画好きでもありませんから、飽くまで私らしく、物語についてのみ話すことにしましょう。

 先ず私が驚いたのは、極めて奇異な世界観です。
主人公の少年、少年の母、妊娠中の女、隣家の家族――子ども以外みな常に胴乱を塗った白く不気味な顔をしているのです。更に小人や空気女、顔に欠損のある男。黒い布を身にまとった恐山を徘徊して回る怪しい老人たち。何度となく現れる変態的な性的描写。ホラーとは異なる表現し難い恐ろしさに「うッ」と一声上げずにはいられない。
また、良い意味で鮮明でない古い映像技術によるぼやけた映りや極端な色彩の変調が上手く生きている。上述の通り私は映画の演出家でもありませんからこの技術が如何に呼ばれているのか解らないのですが、この大味で潔い映し方が、素直に不気味に感じられたのです。

 次に私を驚かせたのは、劇中劇と言う手法です。
なんの前置きもなく突如として今まで見て来た全てが作り事であったと知らされ、そこから更に話を作り出した男自らによって口にされる「あの映画は全て脚色された虚構の物語であり、俺の少年時代などではない」という現実。ここから全く別の展開を見せる『俺の少年時代』は脱帽もの。それまでのアレやコレ、全てが嘘、嘘、嘘!と荒く、暴露するようにして描かれており、それらの大前提であった一切がここで取り払われてしまうのです。
この時点で私はもう「私がそれまで見て来た全てはなんだったというのか!」と心の中で叫ばずにはいられない。そして、それまでと対照的な少年時代の事実をただ茫然として、虚脱感に浸る他なくなってしまうのです。しかしそれで終わりではなく、更に物語は大きく真相と主人公の男の少年時代に踏み込んでいき、別の思想に取りつかれるようになり、ついには……おっと、いけません!

 本当は私がこの映画に対して感じたことというのは一つ二つで終わるようなことではないのですが、それを話すには、どうしても物語の核心部について触れなくてはなりません。これ以上語る事は、この場では許されることではないようです。
兎角、この映画は衝撃的。私のような洋画ばかり見ているような欧米かぶれの人間には特に衝撃的です。
サブカルチャーに於いて強い影響力と高い支持を得ていた寺山修司が原作・脚本・監督を行っており、四十年近く経った現在のサブカルチャーにおいても根強い人気を誇っているようです。
私自身の中もサブカルチャーやアンチメジャー・アウトサイダーの意思が少なからず存在していることは自負しておりますが……それらについて特別研究せんとする意志はあまりないために、実際にサブカルチャーと触れ合う機会と言うのは少なく、無知で、無学なのです。実際、この「田園に死す」という映画は名前だけなんとなく聞いただけで内容は全く知らず、私が愛してやまない映画「ヴェニスに死す」と似通った雰囲気を感じたというだけで借りてきたのです。パッケージを見るまで、邦画だなんて夢にも思っていませんでしたよ。これで如何にサブカルチャーについてのセンスと知識の無さが御理解頂けることでしょう。

寺山修司の作品は、少し前に古本屋で購入した寺山修司少女詩集で幾らかの詩を読んだ程度で、ほぼ無知に等しかったですが……映画・詩共に、中々悪くない、と感じました。しかし、ここで敢えて一つ余計な事を言えば、これは私の趣味には合わないようです。この映画については、純粋に高く評価したいのですが――変態的過ぎるのです。むろん、良い意味で、です。
彼がなぜ脚本家・歌人・映画監督・作家など多岐に渡って活躍し評価されたのか、正直理解に苦しみます。何故斯様なまでに変態的なものを作り出す人がこれほどまでに評価されているのか……この映画が誕生した頃、日本には変人しかいなかったのかと思ってしまう。無知な私には、彼や、彼を支持する人々がひどい変人に見えます。

私と彼、寺山修司との出会いはとても奇特なもので一度では許容しがたい物が有りましたが、良い刺激を受けたのもまた事実です。
この変態ぶりを見せ付けられて「別の映画作品も観てみよう」等とは思いませんが、とりあえず、手元にある詩集を読破してみることにしましょう。他の映画については、再び食指が伸びるまで、しばらく待つことにします。