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2016/12/24 すべてがあの古いロッジで

日記 映画

 その日起きたのはたしか9時、10時といったところで、土曜日の起床時間としては少し早かった。暖房の効いていない部屋はとても寒くて、毛布に包まれていない顔――とくに鼻先は外から帰ってきたときのように冷えきっていた。
 数十分ほど毛布にくるまったまま、音楽を聴きながら、起きたら何をするか考え、“ボッケリーニのメヌエット”が終わったところで布団から出た。
 昼食か朝食かわからないような朝食をとり、コーヒーを飲むと、外行きのジーンズとワイシャツを着て、上ふたつ以外のボタンを付けた。それから念入りに歯磨きをし、口をよくすすぎ、最後にお湯で顔を洗ったあと、残りのボタンを閉めた。
 そのあとはしばらく部屋でこれからのことをメモに書いてまとめたり、今日持っていく本を何にするか考えたりしながら過ごし、正午を過ぎたあたりでセーターとコートを着、最後に財布の中身を確認した後、外に出て、電車に乗り渋谷に向かった。
 
 その日外に出た目的もやはり映画で、ハワード・ホークスの『教授と美女』と『ヒットパレード』が目当てだった。
 『教授と美女』は、言語学の教授と歌うたいの美女との恋愛を描いたラブロマンス、『ヒットパレード』は物語の筋はそのままにモチーフを音楽辞典の編纂家とジャズに変えたホークス自身によるリメイクで、『ヒットパレード』は今年の春頃に一度観ていた。観たのは今日と同じ映画館で、ジャズ映画特集が組まれた時だった。ジャズプレイヤーの名前がようやくいくらか頭の中に入ってきたばかりの私にとってはうってつけの特集だったこともあって、この映画の他にも何本か観に行った。『気儘時代』や『踊るニュウ・ヨーク』、『ハリウッドホテル』に『ニューオリンズ』、『ゴールドディガーズ』……。全部が全部気に入ったわけではなかったにしても、普段観ないミュージカル映画は新鮮だった。
 この映画をもう一度観に来たのは、映画中で演奏されている“A Song Is Born”という曲をもう一度ちゃんと聴きたかったからだった。その曲は、黒人霊歌やアフリカ民族のリズムとカリブ海諸国に伝わった西欧の楽器が結びつき、アメリカの音楽として成長していくまでをドヴォルザークの第9番第2楽章のアレンジをベースにジャズプレイヤーたちが演奏していく、というもので、ルイ・アームストロングベニー・グッドマンやトミー・ドーシーが楽しそうに演奏する姿は観ていてほんとうに快いものだった。
 劇場に入ったのが15時頃で、まず最初に『教授と美女』を観、それから休憩を挟んで『ヒットパレード』を観た。
 『教授と美女』はとてもよかった。純粋に映画として観るのなら、こっちのほうがよく出来ていたし、もし私がジャズに興味を持っていなかったらはっきりと「『教授と美女』のほうが面白い」といっただろうと思う。台詞回しも上手くて、短い台詞のひとつひとつにちゃんと含みを持たせてあって、それは喜劇調でありながら時に感心させられることさえあった。
 こうした隙のなさという点では『ヒットパレード』はかなり雑で、それは『教授と美女』を観た後ではとくに際立っていた。同じ台詞でも先の映画では含みを持たせていたところがひどく平坦な台詞になっていて今ひとつ決まっていなかったし、演奏シーンに尺を割いた結果、話の展開がかなり急になっていた。
 とは言え、やはり私はこの映画が好きだな、と思った。一番の目当てだった“A Song Is Born”の場面はもちろんのこと、終盤の“ジェリコの戦い”の場面は終始口元が緩んでいて――それは他の観客もまた同じだった。とくに、私の後ろの列に座っていた大学生くらいの女性二人組がほんとうに元気に笑っているのが聴こえて――それは一周回って気持ちよく感じられるほどだった。
 他にも、いくつか気づくこともできた。ベニー・グッドマンライオネル・ハンプトンが『ヒット・パレード』に出ているのにジーン・クルーパが何故出ていなかったのかとか、“A Song Is Born”の冒頭で歌われる詞を“mockingbird(モッキングバード)”と間違えて“marching band(マーチングバンド)”だと思いこんでいたこととか、そういったことを。

 観終わった後は館内のチラシを眺めて、その中から何枚か抜き取り鞄にしまったあと外に出た。まだ日が落ちてからそれほど経っておらず、名曲喫茶の7時の定時演奏までまだ時間があったので、そのまま喫茶店には向かわずに反対の方へ歩き出した。
 昼間よりもだいぶ人が増えていて、やはり男女の二人組が多かった。とくに大通りから名画座に入るための道はちょうどホテル街への入り口でもあったから、彼らがこれから何をするのかも分かった。
 ほんの数分前まで暖かった手はすでに熱を失いつつあった。私は両手をポケットに突っ込みイヤホンをはめると、歩く足を早め、道玄坂の狭い道を上り、建替え休業中のデパートの小道から代々木公園まで続くイルミネーションのある通りに出た。
 そこは驚くほど人が多くて、全員が二人組だった。ただ、私と同じくらいの歳の若い人だけではなくて、定年前後くらいの老夫婦もいくらか見えた。歩道は手を繋いで歩く二人組たちで人の波のようなものが形成されていて、一度通りに入るともうまったく自由に歩くことができなかった。くわえて、通りに入ってすぐのところにある信号が赤になっていることがそれに拍車をかけていて、後ろから押されることもあった。
 私は信号を待っている数分の間にこうして人に揉まれながら歩くのが馬鹿らしくなってしまって、信号が青になるとすぐに人の波とは違う方の横断歩道に出た。そして、駅前へと戻るべく線路沿いの大通りに出て、駅前まで戻るとすぐに喫茶店へと向かった。

 名曲喫茶は、意外にもそれほど混んでいなかった。人の数はいつもよりいくらか多いかなというくらいで、座っている客もみんなひとりだった。店の暖かさのためか、さっきの人混みに疲れたせいかわからないけれど、ふいに目頭が熱くなって、じんわりと涙が出てきた。
 時刻は19時を少し過ぎたところで、まだ定時演奏は始まっていなかった。私はいつも座っている席が歩いていたのでそこに座り、いつものようにメニューを見ずにホットコーヒーを注文した。
 その日の定時演奏は、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』で、演奏や指揮が誰だったかは覚えていない*1。演奏がどんなものだったのかも覚えていない。覚えているのは、確かにそこで『くるみ割り人形』が流れていた、ということだけだった。眠かったわけでも、頭がちゃんと働いてなかったわけでもない。ただひたすらに身体が怠くて、寒かった。たしかに暖房が効いているはずなのに、私の指先はふたたび冷たくなってきていた。
 『くるみ割り人形』が中盤を過ぎるころには既に私は思考を音楽に向けるのをやめて、もうその時々思いついたたわいのないことについて考えることにした。劇場で後ろの列に座っていたあの二人組の女の子は今頃何をしているのだろうとか、今はもう別れてふたりとも恋人のもとに向かっているのだろうかとか、そもそも彼女たちはほんとうに二人組だったのかとか、そういうことを。
 くるみ割り人形が終わると、パイプオルガンの曲がかかった。これもよく覚えていない。レコードが終わった後の曲目の紹介で「ミサ曲」という単語と「フランス」という単語が出たことだけは覚えている。
 新しいレコードがかかったところで私は出したメモや貰ったパンフレットをしまい、コートを着、最後に代金を払った。代金を受け取ったのは曲目の紹介をやっていた深緑のタートルネックのセーターを着た20代後半くらいの女性で、私には店にいる間中ずっと、この人はなんてすてきなひとなのだろうと思っていた。

 喫茶店を出たあとは駅まで遠回りに歩き、それから地下鉄に乗って新宿でまた降り、音楽を聴きながらどこの店にも入らず、ひたすら駅の周辺を一時間ほど歩き回った。やはり二人組が多かった。

 脚がひどく痛んできたところで、ふたたび電車に乗って、今度は降りずにまっすぐ帰った。残り何駅かというところで本を読むのをやめて不意に目を閉じると、体の中の何かに吸い込まれるような感覚がした。家に着いたのは23時を回ったところだった。

*1:後になってパンフレットを確認したところでは、ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルの録音だったらしい。

2016/12/21-(2) 「切符がない」と私は言った。

日記 喫茶店

**

「あなたは……」と、まず老夫婦の男性の方が隣のメタルフレームの眼鏡を掛けた男性に声をかけた。「もう永く、ここに通っていらっしゃるんですか」
相手の男性は少しびっくりしたようで、ややうわずった声で「ああ、私ですか」と言い、それから少し間を置いて返事をした。
「ええ、もうそれなりになりますね――とは言っても、私も通い始めてから10年くらいで、この店ができたのがもう何十年も前で、ここに移ってきてからでももう20年近く経ちますから、それほどでもないですよ」
夫人が「とんでもない、もう10年だなんて。大分長く通っていらっしゃるんですね」と間を繋いだあと、ふたたび男性が話し始める。
「私たちはね、あの*****って雑誌で紹介されているのを見て、それじゃあ少し遠いけれどもせっかくだから行ってみようって、それで来たわけでしてね……しかも、それが今年の2月のことですから、私たちなんかはまだ1年ぽっちも経っちゃいないんですよ。」
「そうでしたか。ちなみに、お住いはどちらで?」
「Hです」とふたたび夫人が返事をする。「わかりますかね、H市」
「いや、ちょっと……。ええと、どの辺りなんですか」
ふたたび男性が口を開く「一応S県内なんですが、北の県境のところでして。ここからはかなり離れてるんです。今日は県央まで車を使って、そのあとは電車でここまで来たんですよ」
「そうすると、大分時間がかかったでしょう」
「大体2時間弱、かかりましたね。道はもう覚えましたから、最初に来たときよりは大分楽になりましたけど。あなたはどちらからいらっしゃったんですか」
「私はOというところです」そう言ったあと、老夫婦がしっくり来ない顔をしているのを見て言葉を付け足した。「都の、N区ですよ。私も北の境で、Sと接したところに住んでるんです」
「というと、ここからも大分近いわけですね」
「ええ。そこからだと微妙に路線が合わなくて、バスと電車を乗り継がなくちゃならないんですが、それでも1時間弱ってところです」
「それはうらやましい」と夫人がにっこり顔で言った。

 ここでコーヒーをお互い口にし、しばらくの間があった。それからふたたび口を開いて、つぶやくように、「いいお店ですよねえ」と言い、それからまた会話が再開された。
「そちらはもう、仕事などは退職されたんですか」と夫人。
「ええ、数年前に」
「ではもう、ここにも来たい時に来られるわけですね」
「そうですね。大体週に一回くらいはここに来てますよ――そちらは?」
ここで男性が口を開く。
「私の方は退職までまだあと2年ばかり残ってましてね。今日は休みを使ってここまで来たわけなんです」
それは大変でしたね、と眼鏡の男性が言うと、男性は「でも」とまず言ったあと、言葉を選んでいるような、悩ましげな顔で一息間を置いてから言葉を繋いだ。
「でもね、こういう場所で時間やお金を使って過ごせるっていうのはほんとうに幸せなことだと思うんですよ。賭け事だとか、そういったものじゃなくてね。こうやって音楽を聴いていると――これはきざな言い方ですけども――なんというか、ほんとうに心が洗われるような気分になりますよ」
「ええ、ええ」と男性が頷く。
「うちからじゃあここに来るのにも一苦労ですけれど、ぼんやりと目的もなくその日その日をなんとなく潰して過ごすよりは、こうやって時間をかけてでもここまで来て、美味しいコーヒーを飲んで、いい音楽を聴いて過ごす方がずっといいもんですよ」
「ええ、ええ」
男性は頷いた。私には、さっきよりも強く頷いたように見えた。

ふたたびお互いコーヒーを一口啜り、間を置いてから話し始めた。
「他のジャズ喫茶にもあちこち回られたりするんですか」と眼鏡の男性。
「ええ。家が家ですから、それほど沢山は行けませんけど。他のところだと、あの、ジャズ評論家のGさんのやっている四谷のお店なんかにも行きましたよ」
「ああ……」
「でも、やっぱりこの店が一番いいですよ。他のところみたいに"私語厳禁"なんて張り紙もないし、こうしてずっと喋っていても他のお客さんもとくに気にされないでしょう」
ここでちょうど、コーヒーの配膳を終えたアオキさんがタルトの皿を片づけに彼らの席にやってきて、皿を盆に載せながら少しだけ会話に加わった。「うちなんか、マスターが一番うるさいでしょう。お客さんはみんな静かにしてるのに」
眼鏡の男性は小さく笑い、アオキさんが盆を抱えて向こうに行ってから、話をし始めた。最初に声をかけられたときのような調子ではなくて、今はかなり気楽に話をしていた。
「私も今はここに来ることが多いですよ。もうこういう喫茶店も大分減ってしまったし、流すにしても、他じゃ大きな音でかけてくれないし――」
「ええ、ええ」と夫人。
「若い頃は新宿あたりのジャズ喫茶にもだいぶ通ったもんですが、もうだいぶ潰れちゃいましたからね。今残っている新宿の”D”なんかも、もう地下だけになってしまったでしょう」
「そうでしたね。最近は音の問題で、ジャズバーだとかをやるにしても地下でやることが多いみたいで……」

 その後も二十分ばかり老夫婦と眼鏡の男性は話し続けていた。ジャズ喫茶が全盛だった頃のこととか、昔熱心に聴いていたレコードはもちろん今も好きだけれど、他にもかつてほとんど気にしていなかった演奏者の録音が今になって妙に沁みることがあるとか、今のレコード復権の潮流について、今の若い人たちにはなにか新鮮なところがあるんだろうとか、そういった話だった。
 一通りの話が終わると、「そろそろ、私たちはお先に失礼します」と老夫婦が言い、最後にお互いに名字を教え合い、「また、お会いすることがあれば」とひとこと添えてお辞儀をしたあと、駅前のデパートのものらしい紙袋やなんかを抱えて店を出ていった。名前は私もちゃんと聞いていたのだけれど、日記で名前を置き換えるならどんな名字にするのがいいだろうと考えているうちにごっちゃになってしまって、どれが本当の名字だったのかわからなくなってしまった。老夫婦も眼鏡の男性も、“タナカ”のようなありふれた名字でも、“アイシンカクラ”のような珍しい名字でもなかったことだけは確かだった。

 老夫婦が店を出てからしばらくの間、私は彼らの会話を頭の中で思い返していた。とくに「こういう場所で過ごせるというのは――」のところを何度も思い返した。私は去年、こんな、さっき彼が言ったような言葉を本で目にしたことがあった。それは、青い背の文庫本で、上下巻の長編小説だった。細部は覚えていないからもしかするともっと違うニュアンスだったかもしれないけれど、その本に書かれていたことは間違いない。その言葉はその小説では老人ではなく二十何歳の青年の言葉で、同じように喫茶店で発せられたものだった。
 あの老夫婦の……とくに男性のほうの喋り方は、なんだかとても若々しかった。彼は店にいる間中ずっと、こうして音楽を聞き、コーヒーを飲みながら人と話をすることがたまらなく嬉しい、というような、そういった顔つきだった。それは半年間せっせとおこづかいを貯めてようやく欲しいものが買えるまでになったとか、気になっていた女の子とやっと話す機会ができた男の子のする表情とよく似ていた。
 きっとあの老夫婦はいい人だろうな、と私は思った。そして、彼らが今日、もし私に話しかけてくれたならどんな話をするだろう、と考えた。たぶんそれは、マンションの他の住人とエレベーターでかち合った時のような、至極たわいもない世間話だろう。でも、それでも彼らは今日と同じようにとても嬉しそうな顔で話をしたり、話を聞いてくれたりするんじゃないだろうか。そして満足そうな顔をして店を出て、駅で電車に乗り、県央あたりに駐めていた車に乗ってH市に帰っていくんじゃないだろうか。


 外がすっかり暗くなり、ずっと掛かっていたエラのレコードがようやく終わると、今度は60年代以降らしいファンキーな、力強い音楽が流れ出した。夫婦と話していた眼鏡の男性も少し前に帰っていった。私は新しくかけられたレコードを2曲目まで聴きながらピザトーストとコーヒーの代金を財布から出し、文庫本と紙とペンをバッグの中にしまい、3曲目が始まったところでコートを着、代金を払う前に今かかっているレコードを確認した。それはジャズ・メッセンジャーズの『フリー・フォー・オール』だった。
 そしてアオキさんにごちそうさまでしたと言い、代金を払った。ずっと普通の椅子で腰を丸め膝に肘を載せながら聴いていたからか、アオキさんに「あそこの席、狭かったでしょう。すみません」と謝られた。私はそんなふうに言ってくれるとは思わなくて、ただ笑いながら「いえ……」としか言えなくて、あとはもういつものように二度目のごちそうさまでしたを言うのが精一杯だった。

 店を出た後はいつものように音楽を聴きながら20分ほどあてもなく駅の周辺をぶらついた。その時の私が何を聴いていたのかは、もう覚えていない。ただ、さっきのアオキさんの言葉と昨日行った低くて小さい座席しかない名曲喫茶のことを思い返して、アオキさんがもしあの店の店員だったらきっと誰かが店に来て、出ていくたびにすみませんと言わなくちゃならないだろうな――と、そんな馬鹿なことを考えていたことは覚えている。

2016/12/21-(1) 歌うように指示を出す

日記 喫茶店

 この1年のことでいろいろ考えたことについて、なにかひとつ、文章にまとめあげようと思ったのだけれど、どうにも書ききることは叶わないようなので、それとは別のことをひとつ。たわいもないことを書こうと思う。


 今日起きたのは、8時から5分、10分を過ぎた頃だった。前日は昼頃から家を出て、メトロの24時間乗車券を買ってあちこちを歩きまわったので、一晩たって大分痛んできていた。そのせいか、普段ならもう少し長く寝ていてもおかしくないのに、起きて間もないうちからすでにはっきりと目が覚めていた。疲れのためにシャワーも浴びず、歯も磨かずに寝てしまったので、口の中や額がひどくべたついていた。
 11時ほどまでにシャワーを浴びて朝食を済ませ、歯磨きをした。外は春みたいに晴れていて風もなく、窓を開け放ってもまったく寒くなかった。その後は、ふたたびお腹が空きはじめるまでは、その日のうちにやっておかなければならないことのいくつかを済ませ、それを終えると窓際に横になって1時間ばかり寝足した。日差しがとても心地よかったので、起きてからもしばらくの間はそのままぼんやりと過ごした。
 15時に近づいたところで、普段着ているよれたワイシャツの上に洗ったばかりのセーターを上に着て、財布と身分証類の入ったカードケースと文庫本をバッグに入れた。そして、前日ちゃんとハンガーに掛けずに放ったらかしにしてあった茶色いコートを着て、外に出た。

 外はとても暖かくて、コートでなく、春先や秋の間だけ着ているパーカーで出てきてもきっと問題なかっただろうというくらいだった。去年の今日はこんな陽気ではなくて、もっと寒かった。今日と同じように晴れてはいたけれども、風が冷たくて、歯をがちがち言わせながら信号待ちをしていたのをまだ、なんとなく覚えている。
 意味もなく駅まで行き、それから駅向こうまで少し歩いたあと、ふたたび方向を変えて、今度はジャズ喫茶のある方へと向かった。

 この日はとても混んでいた。昼過ぎから日が沈むくらいまではよく人が来るらしいことはこれまで来たなかで分かっていたけれど、これくらい混んでいるのを見るのは初めてだった。
 普段座る席はいずれもいっぱいで少し焦ったのだけれど、奥から二番目の二人席が空いていて、なんとかそこに座ることができた。私が来る少し前くらいに人が来始めたのか、いつもの店主の女性――彼女の名前を私は知らないのだけれど、ここでは書きやすいように勝手にアオキさんと呼ばせてもらうことにする(この名前はまったくの想像で、なにかのもじりでさえない)――アオキさんは、とてもせわしなく動き回っていて、私が席についてからも水もメニューも持って来られそうになかった。私は席についてから5分ほどの間、既に頭の中で決めてあるピザトーストとホットコーヒーを思い浮かべながら、アオキさんが来るのを待った。彼女が水とメニューを運びに来ると、ふたたび注文を聞きに来る手間がないように、すぐに注文をした。

 この日はエラ・フィッツジェラルドの名演集らしいレコードがかかっていた。スキャットや長い楽器ソロのない純粋な歌曲で、古い録音らしく、時々にブツブツというノイズが歌声の上に乗っていた。
 一曲終わるぐらいの間にひとり、出ていったけれど、次の一曲が終わらないうちに新しい客が来た。私は手間のかかるピザトーストを頼んだのは良くなかったかもしれないな、と少し思った。
 今日はなんだかずっと音楽に集中できなかった。どれだけ音楽に耳を傾けようとしても、どこかガラス一枚隔てたところで音楽が流れているようだった。そういう時もある、そういう時もある、と私は自分に言い聞かせて、頬杖をして目を閉じ、真面目に聴いているふりをしながらうとうとしたり、考え事をしたりした。

 去年初めてここに来たとき、たまたま入る前に聴いていたビートルズのカバーが店内でもかかっていて、なにか特別なものを感じた、といったようなことを文章として書いた。けれどもこうしてそれなりの数のジャズを聴いた今では、それも大して珍しいことでもなかったことがわかってしまった。そも、ガーシュウィン作曲のポピュラーソングに代表されるように、ジャズではポピュラーソングをカバーするのはまったくありふれたことで、それはビートルズのいた60年代も、現在も変わらない。そればかりか60年代では、同年代の有名プレイヤーの名前を適当に挙げれば、実際に何かしらのカバーが見つかるくらい、ビートルズのジャズカバーは多い。ウェス・モンゴメリーバディ・リッチヘレン・メリルオスカー・ピーターソンカーメン・マクレエ、ハービー・マン……。いずれも単に売れるかなで録音したようなものではないのは明らかで、とくにバディ・リッチは“ノルウェイの森”をとても気に入っていたのか、スタジオ録音の他にTVショーやライヴでも度々演奏している。話がそれてしまったけれども……要するに、あれは面白い偶然ではあっても何か特別な運命を感じさせるほどの出来事というわけでもなかったということだ。
 けれど、それが分かってしまった今でも、これといってなにかがっかりするようなこともなかった。ああした偶然がごくありふれたものであるのと同じくらい、こうした勘違いもまたごくありふれたもので、別に恥ずかしいことなんかじゃない。おそらくは、それが大きなものであれ小さなものであれ、誰でもちょっとしたことを何か大きな啓示のように捉えたり、あるいは大きな転機を些細な出来事として見逃したりしているのだと思う。私はもう、自分自身がなにか特別な恩恵を受けた人間であってほしいとは思わない。私はとても卑小な人間ですと自虐めいたことを言いたいとも思わない。ただ、実際になにか特別なことがあったときに心から喜び、また、こうした子供じみた勘違いをしたときに「また馬鹿なことをやったな」と笑うことができる人間でいられたらいいな、と思う。

 店は依然として人がいっぱいで、黒い服に身を包んだ女性がひとり、店にやってきて、満席だからと帰っていった。それからしばらくして私の隣のソファ席が空いた。皿を取りに来たアオキさんが「そこだと狭いでしょう、よろしかったらこちらに」と言ってくれたのだけれど、ここで構いませんと言った。ほどなくして、新たにスーツを着た男性客が入って来て、そのソファ席についた。彼はどうやら店主の知り合いらしく、すぐに店主の男性が嬉しそうな顔でやってきて、あれこれ話をしていた。ジャズとはあまり関係ない、政治とか、スーツの男性の近況とか、そういった話だった。
 これはまったく失礼な話なのだけれど、私は今やってきたこの店主の男性を、ずっと面倒くさい常連客かなにかだとずっと思っていた。髪は長くてぼさぼさで、他の常連客らしい人やなんかがやってくるとすぐに話をしに行くし、彼がキッチンの中でなにかをしているところを見たことがなかったからだ。私が彼が店側の人間であると気づいたのは以前来た時に何度か顔を見たことのある常連客が彼のことを“マスター”と呼んでいるのを耳にしたときで、それまではほんとうにただの客だと思っていた。たぶん、私のように最近来たばかりの人も、私と同じように考えているだろう。

 注文をしてから20分ほどしたところで、コーヒーとピザトーストがやってきた。店内は相変わらずいっぱいで、まだエラも歌い続けている。
 今日は普段と比べて賑やかで、隣で喋っている“マスター”のほかに、私がピザトーストにぱくついている間、斜め前の席に座っている50代から60代初めくらいの夫婦が常連らしい定年過ぎの男性と話をしていた。食べるのに夢中なふりをしながらひそかに話を聞いていたのだけれど、こんな話だった。

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