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2017/04/29 私たちのペーター・シュトゥルツについて、

 先日書いた記事を最後に、こちらでの記事の更新を停止しようと思います。
 とくに何か、深い意味があるということはなくて、ちょうど昨年度までの日記を書ききってきりがよかったからとか、それくらいの理由です。

 昨年ごろから個人の(自己満足のための)日記としてはかなり文章量が増えてきていて、人に見せるものとしてはつらい文字数、独り善がりに過ぎる内容になってきたなあという感じがしていたので、ひとまず記事データをインポートしたうえで、昨年までに書いた記事を下書き状態に戻しました。
 日記に関してはこれから昔の記事やなんかを整理しつつ、別のブログサービスで書いていこうと思います。はてなブログ自体はまったく使い易く今でもこれといった不満がないくらいなので、ゆくゆくは今のようなかしこまった日記みたいなものではなくて、もっと別のことについて――たとえばビデオゲームの話とか――そんなことを、ここで書くことができたらなと考えています。今の時点では“書きたい”という以外になにひとつ見立てがないので、向こう半年ないし一年くらいは閲覧用アカウントとして使うくらいに留まることになりそうですが。

 ともあれこうしてウェブサービスで日記やなんかをあれこれ書き始めてから6年、はてなダイアリーに移ったのが2年目(2013年)の冬、はてなブログに移ったのが4年目(2015年)の春なので、もう半分以上の期間をはてなで書いていたことになります。最近は自分が文章を書くようになってから何年とかいうのをあまり気にしていなかったので、今になって少し、感慨深く感じています。
 なにかはっきりとした形式を持って、ないしはなにかしらの形式を意識したうえでこれまで文章を書いていたわけではなく、とにかくその時々の感覚、その時々の好み、その時々の自分の中の流行りで文体から一人称から形式まで好き勝手に書いてきていたので、今日ひとつひとつ記事を下書き状態に戻しながら、『われながらまったく行き当たりばったりだったなあ』とか、そんなことを思っていました。

 ひとまず、こうして書き続けてこられたこと、書いたものを人に読んでもらえたことを嬉しく思います。
 ありがとうございました。

2017/03/17-(3) 綿菓子と海の泡と雪を

 スクリーンの中に入ると、まだ本編は始まっておらず、近く公開される作品の予告編や鑑賞前の注意喚起などが流れていた。予想に反して、存外席は余っていた。たしか、全座席のうち、半分くらいは空席だったと思う。私はこの時になって、ちょうど今月頃から都内でも規模の大きい劇場でも公開されるようになっていたことを思い出した。多分、ここの劇場は全席自由席で座席のウェブ予約はもちろん、当日の混雑状況さえ詳細には分からないくらいだったから、アニメ作品を多く流しているような、他の劇場へ流れてしまったのだろう。私は、ぱっと全席を見渡して、まったく人の座っていなかった最前列に席をとった。
 席に座ると、汗で湿ったシャツが背中に張りついて、気持ちが悪かった。予告編の上映は長く、私が席についた時点で既に上映開始時刻から5分以上経っていたはずだけれど、そこからさらに5分は流れていた。それも複合映画館のような同ジャンルの作品の予告ではなく、アジア洋画、邦画インディペンデント、ドキュメンタリとばらばらで、まったくまとまりに欠けていた。
 私自身もまた、流れる予告編と同じようにひどく混乱していて、こうしてチケットを買って席に座ってはいたけれど、それと同時に頭の中では『なぜ、私は今、この映画を観ようとしているのだろう?』なんてことを考えていた。これまで、私が映画を観に行くときは必ず事前に打ち立てられた“映画を観に行く”という目標のもとに行われていたし、観る映画や行く劇場が変わったり映画を観るという目標が達成されないことはあっても、たしかに私は事前に用意した“映画を観る”という目標のもとに行動し続けていた。それがなぜ、自分自身でも予期しないひらめきのために映画を観ることになったのか――なぜ、モーツァルトの嬉遊曲集を買うことになったのか? 私の胸は、これまで感じたことのない不思議な感覚に満たされていた。
 私の身体が映画の方へと向かっていくのは、本編が始まって十分ほどしてからのことだった。

 **

 映画の上映時間は二時間ほどだった。スクリーンから出たあとは、そのまま出ていかず受付近くにあるチラシを見て回り、その内の何枚かを貰ってから劇場を出た。けれど、階段を降りてすぐのところに手袋(もしかしたら、手袋ではなくハンドタオルだったかもしれない)が、落ちていて、受付の女性に預けるためにもういちど劇場に戻った。受付にはチケットを買った時の女性と、それと同じくらいの黒髪で黒縁の眼鏡を掛けた女性がいて、私が預かって頂けますかと言うと、ふたり一緒に笑いながら「はい、わざわざありがとうございます」と言った。私がそれじゃあ、と言ってふたたび劇場を出ていこうとすると、二回目の「ありがとうございました」が後ろから聞こえた。

 劇場を出たあとは当初の目的だった名曲喫茶に向かった。劇場ビル前の大きなポスターの写真を撮っておきたかったのだけれど、既に陽は落ちていて薄暗くこのまま撮ってもまともに映らないだろうと思い、撮らずに劇場を離れた。
 名曲喫茶はかなり空いていた。2階席は分からないけれど、1階席には窓際の席と後方の4人席とで3,4人いるくらいで、ほとんどガラガラと言ってよかった。私はいつも座っている席に座り、いつも注文しているとおり、コーヒーを頼んだ。注文を取りに来たのはゆるいパーマのかかった長髪で上唇に髭の生やしている無愛想な男性で、画家か、でなければ作家でも目指していそうな雰囲気だった。
 最初にかかっていたのはオペラで、明るい曲調のものだった。レコードが終わったあとの曲の紹介は声が小さくてよく聞こえず、聞き取れたのは“ヴェルディ”と言った部分だけだった。それがそのままヴェルディのことを言っていたのか、あるいはモンテヴェルディのことを言っていたのかは今も分からない。とくに聞き覚えのある曲ではなかったし、その時聴いていたはずの旋律も、翌朝にはもう頭のなかには残っていなかった。
 次にかかったのはショパンの幻想即興曲マズルカで、流れている間に新しく4人、新しく人が来た。そのなかで最後に来た、会社勤めらしい40代くらいのスーツを着た男性は来店に気づいてもらえず、前方の席に座ってから10分ほどもじもじしていた。私はその男性を横目に見ながら、2年くらい前に別の喫茶店で同じような目にあったことを思い出していた。思い出しているうちにだんだん自分まで妙に恥ずかしくなってきて、レコードの何曲目かが終わったのに合わせてさっきの男性と別の女性の店員が出てきて来客に気づき、慌てて水と品書きを持ってくるのを見ると、思わずこっちまでほっとしてしまった。
 ショパンの後は19時の定時演奏で、この日はベートーヴェンモーツァルトのヴァイオリン・ソナタだった。私もせっかくだからと暫くの間は熱心に音楽に耳を傾けていたけれど、結局のところ、まともに聴いていたのはベートーヴェンの最初の第一楽章までで、第二楽章が始まる頃にはもう集中が切れていた。そこから先はまともに聴くのは諦めて、腰を丸めて両肘を机に置き、両手で鼻筋を抑えたままどこを見るわけでもなく、流れている音楽に耳を澄ますわけでもなく、ただ今日のことをあれこれ考えていた。

 映画はとてもよかった。とくになにか、大仰な文句でもってその作品がいかに素晴らしかったかを語ってやろうという気はないけれど、ひとつ、とにかく印象に残っている場面があって――それは、終盤の、主人公と嫁ぎ先の義姉が終戦後に米軍の配給キャンプに行き、残飯の寄せ集めで作ったらしい配給食を食べ、屈託のない声で「うまい!」と言う場面だった。
 腰を丸めながら小刻みに身体を震わせていた私は不意にその場面のことを思い出し、それと同時に自分の目の奥から涙がこみ上げてきていることに気づいた。あの場面は――まったく、ほんとうに美しかった。
 私はまぶたをぎゅっと閉じてこみ上げてくる涙を抑えた。しばらくして涙が収まるとグラスに入った水を指先につけて、痺れるまぶたを擦った。その日にかいた汗や油が水と一緒に目に入って、少し滲みた。
 ベートーヴェンが終わり、モーツァルトソナタが始まったところで残っていたコーヒーを飲み干し、財布から静かに小銭を取り出した。そのまま身支度を済ませ、第一楽章が終わったところで店を出た。会計をしてくれたのは最初の男性ではなく、緑のタートルネックのセーターを着た茶髪の、丸っこい顔つきの女性だった。私が代金をきっかり渡し、小さく「ごちそうさまでした」と言うと、彼女はにっこりと笑って「ありがとうございました」と言った。

 名曲喫茶を出たのは19時30分といったところで、いつもと比べてかなり早い時間帯だったけれど、そのまま真っすぐ電車に乗って帰った。帰る途中まで持っていたメトロの24時間乗車券はいつのまにかどこかに消えてしまっていて、家に着いてから上着やジーンズのポケットを漁っても出てこなかった。
 次に行った時に撮ろうと思っていたあの劇場前のポスターの掲示期間がその日までだったことを知ったのはそれから数日経ってからのことだった。

2017/03/17-(2) 平均律で祝えば

 それなりの距離を歩き回ったせいか、ふだんなら三駅もあれば文庫本を広げるはずなのに、この日は吊革につかまったきり、ずっとぼんやりとしていた。電車の中はまだ定時前ということもあって、座席は帰宅中の学生なんかで埋まっているにせよ、それほど混み合ってはいなかった。

 次に降りたのは渋谷だった。電車を降りるとすぐに私立中学の生徒らしい、小ぎれいな制服を着た女の子たちの集団が電車に乗り込もうとしていた。彼女たちを見やりながら私は、渋谷の私立中学に通学するというのは一体どんな気分なのだろうと思った。彼女たちにとっては単なる日常でしかないのか、或いは、都心で学び、遊ぶことにまんざら悪い気もしてないのか――それとも、学校がどこにあるかなんていう些事のために一喜一憂する余裕もなく、なにかまったく別の悩みのために静かに苦しんでいたりするのだろうか。
 『まったく知りもしない子のことでこんな想像をふくらませるなんて、自分はなんてばかなことをしているのだろう』と、改札口へ向かう階段を上りながら私は思い、ひとり、静かににやにやしていた。

 地上に出て、大きなスクランブル交差点を渡り、まっすぐ中古CDショップへと向かった。
 こちらの店舗ではセールをやっているのは地下一階のジャズやR&Bのコーナーだけで、2階のポップスのコーナーではいつも通りだった。3階はいつの間にか商品が移されていて、レコードのみになっていた。一応、2階もひと通り見たけれど、気になったのは高音質盤の発売で値が下がったピチカート・ファイヴのオリジナル盤と10代なかば頃に熱心に聴いていた邦バンドのアルバムが何枚か。あとはブロンディとかポリスとか、そんなものだった。CDの並びが前と変わっていたこともあって探すのが中々面倒で、結局十数分ばかり見たあと、何も買わずに別のフロアに移った。
 決算セールといってもまだ三日あるうちの初日、それも平日の真昼間だったから、思ったよりもだいぶ空いていた。狭い店内に7,8人ほどいたけれど、棚を見て回るのも苦じゃなかった。去年の梅雨頃にセールでこの店に来た時なんかはひどいもので、リュックサックを背負ったままレコードを漁って通路を圧迫する人なんかもいたし、何より2,3日雨が続いていたころだったから蒸し暑くてたまらなかった。
 ただ、今日は棚を見る分には快適だったけれど、行くまでに『もしこれがあったら最優先で買おう』と思っていたもののほとんどはなかったり、或いはあってもリマスタリング前の古い盤だった。結局そのなかで買ったのはチャールズ・ミンガスの『道化師』と、スプリームスの『愛はどこへ行ったの』で、他に気になったのはスタンリー・タレンタインの『シュガー』とテンプテーションズの『シング・スモーキー』、あとは『バード・アンド・ディズ』くらいだった。
 買うと決めた2枚を持ってレジに行くと、真っ黒いトレーナーにニット帽といった格好の、でっぷりと太った黒人の男性が、会計機の手前にある試聴用のプレイヤーでレコードを何枚か持って熱心に試聴をしていて、思わず気圧されてしまった。ニット帽の上から大きなヘッドフォンをかけてレコードを聴きいる姿はまったく様になっていて、そのまま写真を撮れば音楽雑誌にでも載せられそうな感じさえした。
 十秒だか、二十秒だかわからないけれど、少しの間私が驚いてぽかんとしていると、奥のカウンターのいた店員の男性の「お待ちならこちらにどうぞ」という声で我に返った。その店員は、去年の梅雨に来たときも会計をしてくれた人だった。
 店を出たのは16時まであと10分もない、というところだった。予定では、CDを3枚か4枚買ったあと名曲喫茶に行き、16時半にメトロの24時間乗車券を使って17時までに地下鉄で帰れるところまで帰るという算段になっていた。けれど、この計画を強行しようとするとコーヒー一杯550円の名曲喫茶にたった30分ぽっちしかいられないことになる。そんなもったいないことはしたくない。かと言って、CDのためだけにあちこちを歩き回った挙句300円ばかりを浮かせるためにそそくさと帰るのも嫌だった。
 ひとまず大通りに向かいながら、どうにも今日は外に出てからずっとばかみたいなことをやっているな、と私は思い、自分の顔を引っ掻いてやりたいような、そんな衝動に駆られた。汗で少し湿っているシャツや、ふたたび腹の奥から湧き出しつつある空腹感や、汗に汚れた乗車券やさまざまなものが、どうしようもなく私を苛立たせていた。

 ひとまず名曲喫茶の前まで行こうと決めて、大通りから小道に入り坂道を上っていると、名画座のあるビルの一階前の看板に、うぐいす色の長袖ともんぺ服を着た女の子の絵が描かれた大きなポスターが掲示されているのが目に入った。それは、私がずっと気になっていたアニメ映画で、名画座のあるビルの2,3階に入っている劇場で半年前の封切りからずっと上映が行われていた。個人からの寄付を募って制作した作品だとかで、パイロットフィルムの公開とともに支援者募集の記事が出た時からなんとなく気になっていたのだけれど、いざ公開してみると反って気が引けてしまうくらいに盛り上がっていて、結局公開から半年近く経っても観ていなかった(そういえば、去年はそんな具合で観ずじまいに終わったアニメ映画がほかにもあった)
 急に私はその映画のことが気にかかって、ひとまずエレベーター前にある今日のタイムテーブルを確認してみることにした。ふしぎな偶然もあるもので、見てみると上映開始は16時ちょうどで、今がまさにその時刻だった。
 私は見るか見ないかを決めきることができないまま、何かに引き寄せられるかのように階段を(エレベーターではなく、階段を!)上り始めていた。受付のある3階につく頃になって不意に『行った所で席がないかもしれない』という考えが頭をよぎった。けれどそう思ったころには既に私は劇場の中に足を踏み入れており、受付の大学生くらいの女性は既に私の方を見ていた。
 内心は、もう席など残っているはずがないという諦念でいっぱいになっていたけれど、このまま踵を返すのもきまりが悪かったからひとまずチケットを買いに来たんだという体で受付に行き、16時からの回は入れますかと訪ねた。「はい、入れます」と女性は笑顔で言った。